築地・珈琲店「愛養」が受け継ぐトーストの“無形遺産”

特集

耳まで愛して。パン界のオールラウンダー「食パン」の底力

2017/02/15

築地・珈琲店「愛養」が受け継ぐトーストの“無形遺産”

マグロの競りで有名な築地市場内に“食パン”を焼く達人がいる。しかもメニューも無限らしい。実際に足を運べば、トーストの品数とともに、店長の鈴木健蔵さんの佇まい、お客の笑顔も印象に残る。店内には朝の喧騒の中、時折、心を癒やす静寂も訪れる。場の空気を育む鈴木さんの仕事の極意を探りたい。

Yahoo!ライフマガジン編集部

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同じことを50年。トーストの数だけ、お客さんの笑顔がある

注文しない常連たち

午前2時15分。真っ暗な店内に灯りをつけた鈴木健蔵さんが初めに取り掛かるのが、コーヒーのドリップ。その量は約4リットルだ。20分ほどで淹れ、愛用のコーヒーアン(保温器)にセット。が、4時の開店とともに市場で働く人たちが押し寄せ、1時間もしないうちになくなってしまう。

早番の女性に接客は任せて、追加のドリップとトーストに専念する鈴木さん。忙しくとも、なじみの客が座れば、無言でも、いつものトースト、いつものコーヒーを出す。「今日は冷えるね〜」「気が早いけど、今年のペナントレースはどうだろう?」と会話を弾ませながらも、手元は動かしたままトースターから目を離さない。

客の好みの色に焼きあがるまで、何度も返しては熱入れする
店長の鈴木健蔵さん。バターは焼きたてのうちにまんべんなく生地になじませるようにしている
トースト(220円・税込)は「標準四つ切り」が、もっともシンプルな食べ方。バターの量が適量で、ペロッと平らげられてしまう。ホットコーヒ(450円・税込)は、エバミルクを入れるのもおすすめ

焼き加減はお客の数だけ

鈴木さんの手元から繰り出されるトーストは実に多彩だ。バターを塗って縦切りにした「標準四つ切り」が文字通り、スタンダードなのだが、常連でこれを齧(かじ)っている人は意外と少ない。よく焼いて耳を落とし、バター効かせて12分割したものや、2枚の食パンでジャムを挟んだ一皿。「卵を茹でるから、ちょっと待って」と言って鈴木さんが出してきたのは、玉子サンドだ。仕事の休憩時間に立ち寄った人が、手を洗わずとも食べられるようにと、トーストの細切れに楊枝を刺したプレートもある。常連客なら何も言わずとも、好みの焼き加減、味わい、形状で提供される。あうんの呼吸に、感嘆だ。

コーヒーのスチールタンク。ブラジル・コロンビア・モカを別々に深煎りした「愛養ブレンド」は、昔から変わらぬ味わい。キレある苦みは、朝から築地で働く人たちを奮い立たせるに違いない
「ジャムサンド」(440円・税込)。トーストを2枚分の値段。イチゴの酸味とともにコクを深く感じるのは、パンにバターがなじませてあるからだ
玉子サンド(280円・税込)。卵には塩だけ振り、素材の味わいをより濃厚に。「手間がかかるから、こればかり注文されると困るんです」と笑う鈴木さん
「よく焼き フチ取り 細切れ」(220円・税込)。これに楊枝を刺して提供すれば、手を洗わずとも食べられるため、忙しい築地の働き人は大助かりだ

評判は日本を超えて

地下鉄が動き出す時間になると、今度は「いちげんさん」が増えてくる。最近はSNSで鈴木さんのトーストの美味しさ、メニューの多さを知り、わざわざ足を運ぶ人も多い。

しかし常連客に気後れして、注文の仕方を迷う人も。緊張しながら「トーストとコーヒー」と声を絞り出したお客にも、鈴木さんは柔和に対応する。ミルクの有無を聞き、要望がなければトーストは「標準」を出すことが多いが、最近は「それ(客のスマホのこと)を見て、来てくれる人に評判でね」と、「ハーフ」を提供することもあるそうだ。

ハーフ細切れ(220円・税込)。バターとイチゴジャムをたっぷりと。ホットミルクコーヒー(450円・税込)は、ガラスのグラスで提供される。この組み合わせが、いちげんさんの一番人気だ
カウンターのお客に話しかけることはあっても、決して押し付けがましさはない。適度な距離感を大切にする鈴木さんだからこそ、いちげんさんから常連になる人も多いのだろう

「今日はどこから?」「確か、半年前にも来てくれたよね」。掻き入れ時が過ぎると、お客との会話に花も咲くが、ここでも驚かされるのが、鈴木さんの記憶力。数年前の来客の好みを覚えていて、驚かれることもあるそうだ。最近は外国人客も多く、先日は韓国の人気アイドルが来店していたことを、SNSを見たと言うお客に指摘されて、気づいたとか。

「ワンプレート耳なし」(440円・税込)は食パン2枚分。今はトーストは1枚で注文するお客が多いが、昔は耳付きを2枚、ペロッと平らげていく人もたくさんいたそうだ

お客さんが育ててくれた

「初めて来た人に、何種類くらい焼き方があるんですか、って聞かれることもあるけれど。それはお客さんの数だけ。みんなに喜んでほしいと頑張っていたら、種類が増えちゃった」。決して自らの技術を誇らず「良いお客さんに恵まれただけ」と、鈴木さんは話す。単純な仕事の繰り返しでも毎日、カウンターの中に立つことが、楽しくて仕方がない。「最近は営業時間を延ばして、14時まで頑張ってます」と、70歳を迎えてもなお元気だ。

明治時代は「愛養軒」という名で、日本橋でミルクホールとして営業していたそう。師匠、師匠の御子息から暖簾を受け継ぎ、伝統ある屋号を守っている

「それでも最近は、コーヒーだけのお客さんが増えちゃったね。食パンも以前は、3斤を40本、仕入れていたんだけどなぁ」。時代の変遷に思いを馳せる鈴木さん。豊洲市場で珈琲店を営業するのか、現時点では明らかにしていない。それでも今後も何かしらのかたちで、市場で働く人や来場者をもてなしてくれる。そんな気がしてならない。

50年間、トーストとコーヒーで訪れる者を魅了してきた、その極意に触れられるのも、築地市場がある今だけかもしれない。18歳で飛び込んだ「愛養」を師から受け継ぎ、今も進化させる鈴木さんの佇まいからは、確かな匠の技が感じ取れた。

愛養

住所:東京都中央区築地5-2-1 築地市場内 6号館
アクセス:
 築地市場駅A1出口から徒歩約3分
 築地駅1出口から徒歩約9分
 東銀座駅6出口から徒歩約10分
電話番号:03-3541-2140
営業時間:4:00〜14:00
定休日:日曜・祝日、市場休業日

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※この情報は取材時の情報です。ご利用の際は事前にご確認ください。

取材・文/岡野孝次 写真/原 幹和

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