【京都の摩訶異探訪】節分の日の主役が達磨?京の節分と達磨

2019/01/28

【京都の摩訶異探訪】節分の日の主役が達磨?京の節分と達磨

春夏秋冬の季節を分ける、という意味を持つ節分。今年の立春は2月4日だから、前日の3日が冬と春の変わり目の節分にあたる。そんな中で、この日ばかりは「達磨」が主役となる寺院があり……。

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この日ばかりは「達磨」が主役となる寺院

昔から立春の節分は春が始まる、つまり1年の始まりとして大切に考えられ、その大晦日に旧年中の厄を払う追儺(ついな)が行われてきた。追儺は鬼を払う行事で、京都では多くの寺社で節分祭が行われ、この時期の風物詩となっている。そんな中で、この日ばかりは「達磨」が主役となる寺院がある。

円町駅からほど近い、臨済宗妙心寺派の法輪寺だ。境内の達磨堂には、約8,000の達磨が祀られており、京都の人たちは法輪寺のことを「だるま寺」と親しみを込めて呼ぶ。毎年、節分が迫ると、下立売通や紙屋川にかかる橋には赤や白の幟(のぼり)が立ち、提灯が吊られて、普段は静かな通りがいっぺんに賑やかな雰囲気に包まれる。そして寺の門の脇では巨大な達磨が参拝者を迎えてくれ、境内に入ればもう、そこは達磨づくし……。

下立売通の幟と提灯
節分の達磨寺
達磨寺の門脇で参拝者を迎えてくれる(左)、金天と呼ばれるタイプの小さな達磨たち(右)

達磨のモデルとなったのは、約1500年前の実在の人物だ。禅の開祖として知られる達磨大師で、9年間壁に向かって座禅しつづけ悟りを開いた「面壁九年」の故事で知られる。その達磨大師の修行する姿や不撓不屈の精神が、後にご利益をもとめて縁起物として定着していったのだろう。

今では選挙の時に片方だけ入っていない黒目を書き入れるのがお馴染みだ。目を入れる時は、まず願掛けをして左目(向かって右)を入れ、成就した際に右目(向かって左に)入れるのが良いと聞く。陰陽道で左が陽、右が陰とされることに由来するようだ。

目入りと目を入れるタイプの達磨たち

達磨といえばその形とともに、赤い色が印象的だ。一説には達磨が赤いのは、中国で最も徳の高い僧が身に着けるのが赤い法衣とされ、達磨大師もそれを着ていたとからだという。また、古来より赤は魔除けの色であり、疱瘡(ほうそう)除けの色でもあった。昔は人工で赤を作り出せなかったため、特別な力を秘めた色だとされてきたことも、理由の一つだろう。

達磨の発祥だが、室町時代に中国の「明」と室町幕府との貿易によって輸入された不倒翁(ふとうおう)がそのはじまりだとされる。京都の富裕層の贅沢品だった不倒翁が、起き上がり小法師として庶民の間へと広まり、東や西へと伝わっていったようだ。それが江戸時代中頃になってさらに変化し、「達磨」が誕生したと考えられている。京都では長く、子どもたちの玩具として起き上がりこぼしが長く愛されてきた。京都より東の地域では達磨として発展し、西では起き上がりこぼしの形が今に根強く残っていると聞く。

節分と言えば「豆まき」

ところで、節分と言えば「豆まき」だが、豆をまくという行為は、魔(ま)を滅(め)っするという意味から来ているという。

節分の豆

この冬の京都は、ことさら寒い。達磨づくしの法輪寺で、達磨のパワーをいただきながら、住職のだるま説法を聞き、立春を迎えるのも京の節分の過ごし方のひとつ。豆をまいて魔を滅し、この時期に境内で販売される縁起物の「だるま焼」を食べて、気分だけでも一足先に春を迎えたい。

節分に達磨寺境内で売られている「だるま焼」

京都の摩訶異探訪

京都の街のどこでも存在する伝承。それは単なる絵空事ではなく、この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、月刊誌Leafで以前「京都の魔界探訪」の連載をしていたオフィス・TOのふたりが実際にその地を訪れながら紐解いていく。

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京都・滋賀のタウン情報誌『Leaf』の出版社、(株)リーフ・パブリケーションズが運営するWebマガジン。「観光地・京都」ではなく、ここで暮らす「私たちの街・京都」にスポットライトを当て、「京都を知る、京都で遊ぶ。」をテーマに、いつもの京都がもっと楽しくなる情報をお届けしています。

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