【京都の摩訶異探訪】異界への入口と信じられた、神泉苑

2018/05/23

【京都の摩訶異探訪】異界への入口と信じられた、神泉苑

京都の街のどこでも存在する伝承。この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、その地を訪れながら紐解いていく。

WEB Leaf

WEB Leaf

異界への入口と信じられた、神泉苑

二条城の南側に位置する神泉苑(しんせんえん)は、平安京の造営の際、大内裏の東南に広がっていた自然の森や池を利用してつくられた名苑であった。その規模は現在の神泉苑の約10倍だったと聞いている。当時は帝の納涼や舟遊びなどの行事・遊宴が盛んに行われ、日本で初めて花見の宴が催された場所でもあったと伝わる。

神泉苑

その神泉苑には昔から、ある噂が囁かれていた。龍穴(りゅうけつ)があるという。その穴は異界に通じて大地の気が溢れ出し、池の水は日照りでも涸れることがない。都人はこの池の様子を見、龍神の棲み処だと考えた。

そして、それを裏付ける伝説が残っている。嵯峨天皇(在位809~823年)の御代、京都はひどい干ばつに見舞われた。そこで雨乞いをすることになり、白羽の矢が立ったのが、東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)僧都だった。僧侶たちは法力で雨乞い対決をした。

先に守敏が祈祷するが、雨は大地を潤すほどには降らなかった。次に空海が祈祷する。だが、守敏僧都が呪法で龍神たちを水瓶に閉じ込め、邪魔をした。唯一、北天竺(インド北部)の善女龍王のみが守敏の呪法を免れていたのを空海が見抜いて勧請すると、水瓶は壊れ、善女龍王は金色の龍となって天に昇り、たちまち雨を降らせて都を救った。以来、神泉苑は東寺の僧侶たちの道場として雨乞い修行の中心地となった。

それほどの霊場も、武士の時代になると、天皇の禁苑として、また法力の修行の地としての役目も終え、荒れ果ててしまう。いつしか池の水も涸れてしまい、京の人々は「龍神さんが池の龍穴から飛び去ってしまった」と噂し合った。

現在、神泉苑の規模は大幅に縮小してしまったが、朱色の法成橋が緑の樹木に生え、花々に縁取られた池には鯉や亀、アヒルや鴨などが泳ぐ池の縁に佇んでいると心地よく、街の喧騒を忘れさせてくれる

苑内のツツジ
苑内のアヒル

この法成橋は、一つだけ願い事をしながら渡り、善女龍王に詣でると願いが叶うとも言われている。

願いが叶う!? 法成橋

ところで、どこかへ飛び去ってしまったと聞く龍神は再び、神泉苑に戻ってくるのだろうか。善女龍王は実は龍ではなく、金色の蛇の姿をしていたようだ。池をのぞき込むと、金色の蛇ならぬ、金色の鯉が泳いでいた。雨乞いの必要がなくなった現代だが、密かに龍神はこの池に戻っていて、京都の街が干ばつにならないよう見守ってくれているのかもしれない。

龍頭と池
苑の池にいた金色の鯉
苑内には日本で唯一の恵方社「歳徳神」が祀られる
Yahoo!ロコ神泉苑
住所
京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入る門前町167

地図を見る

アクセス
二条城前駅[3]から徒歩約3分
二条駅[東口]から徒歩約7分
二条駅[1]から徒歩約7分
口コミ・写真など

※この施設の情報はYahoo!ロコから提供されています。

京都の摩訶異探訪

京都の摩訶異探訪

京都の街のどこでも存在する伝承。この現代にも密やかに息づき、常に人々と共存し続けている。1200年余りの歳月をかけて生み出された、「摩訶」不思議な京都の「異」世界を、その地を訪れながら紐解いていく。

この記事を書いたライター情報

WEB Leaf

WEB Leaf

京都・滋賀のタウン情報誌『Leaf』の出版社、(株)リーフ・パブリケーションズが運営するWebマガジン。「観光地・京都」ではなく、ここで暮らす「私たちの街・京都」にスポットライトを当て、「京都を知る、京都で遊ぶ。」をテーマに、いつもの京都がもっと楽しくなる情報をお届けしています。

WEB Leaf が最近書いた記事

RECOMMEND

SPECIAL

SERIES