負けず嫌い「カルチェラタン」冨田シェフが乗り越えた3つの試練

負けず嫌い「カルチェラタン」冨田シェフが乗り越えた3つの試練

2019/01/23

名古屋という街から世界に向けて発信を続けるシェフがいます。なぜ東京ではなく名古屋なのか。「My スイーツメモリー」vol.7は地方から世界に発信を続ける冨田大介シェフの志に迫ります。

Yahoo!ライフマガジン編集部

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名古屋から世界を見据える洋菓子店があります

名古屋駅から電車で20分ほど。お世辞にもアクセスがいいとはいえない立地にある「カルチェ・ラタン」

名古屋から世界に向けて発信を続けるパティスリーがあります。それが「カルチェ・ラタン」。お店の代表として活躍する冨田大介シェフは、国内外のコンクールで輝かしい成績を残している、日本を代表するパティシエです。前回の「ヨシノリアサミ」の浅見欣則シェフからバトンを受けた冨田氏が、「スイーツ」作りを志したきっかけを教えてもらいましょう。

冨田大介

冨田大介

「パティスリー カルチェ・ラタン」代表

\推薦者のヨシノリアサミ・浅見欣則シェフからのひとこと/
「日本人離れした素晴らしい感性と感覚を持っているシェフです。同世代の中ではNo.1の職人だと思っています!」


お菓子作りを志したきっかけ、そして父親が作ってくれた思い出のケーキ

爽やかで高身長でスポーツ万能と三拍子揃った冨田シェフ。さらに美大卒という異色の経歴の持ち主です

冨田シェフの実家は洋菓子店です。お父さんは洋菓子職人で、現在も冨田シェフと一緒に働いています。やはりお父様の影響は大きかったのでしょうか。

冨田シェフ
冨田シェフ
「おじいさんがパン屋をやっていて、父親の代で洋菓子店になりました。でもね、僕は『後を継げ』なんて一度も言われたことないんですよ」
「厳格な父でしたが、幼い頃、誕生日に作ってくれる味わい豊かなオリジナルのケーキがいつも楽しみでした」

勉強よりも物作りが好きで、造形のセンスと手先の器用さに自信があった冨田シェフは美大に進学します。在学中も豊かな創造性をいかんなく発揮し、大学卒業時には卒業式で表彰される名誉にもあずかりました。その類稀なる才能を見込んだデザイン事務所などからも就職の声がかかったといいますが、悩んだ末に選んだのは父親と同じ製菓の道でした。

冨田シェフ
冨田シェフ
「遅い時間まで働くオヤジの背中をずっと見ていたから、大変なのはもちろん知っていました。でも、職人の生き様っていうのはかっこいいなって。自分も父親と同じ道に入りたいと突発的に思ったんです」

お父さんはその決断を聞いて戸惑ったといいますが、固い決意を胸にした冨田シェフは、大学卒業後、東京の有名店「オテルドミクニ」の門を叩きました。

未経験の若造が乗り越えた第1の試練

「カルチェ・ラタン」の店内にはシェフの輝かしい実績を示す賞状が飾られています

23歳から東京の有名店で修行を始めた冨田シェフを待っていたのは、新人なら誰もが通る、泥臭い下働きの日々でした。

冨田シェフ
冨田シェフ
「大学までずっとサッカーをやっていたので体格は良かったんです。当時ミクニでは店舗への配達人員が必要とされていて、その要員として採用されたようなもんでした」
「朝から晩まで配達で、それが終わるとようやく自分の勉強。専門学校を出ていないからフランス語の製菓用語がわからなくて苦労しましたね」

冨田シェフはさらに大きな壁にぶつかります。製菓の現場では、大事な仕事はある程度経験と技術を持った職人が担当します。職人が抜けると、また中途で職人が補充される。そのサイクルの中では、新卒で技術がない自分は簡単に上にいけないことを悟ったのです。

冨田シェフ
冨田シェフ
「自分にほとんどチャンスはありません。だから、もしその機会がきたら絶対に活かさなくてはいけない。仕事が終わった後には、繰り返しの単純作業の反復練習をしていましたね。ここぞというときに、相手が思っている以上の技術を披露してやるって」

尊敬するシェフからウエディングケーキを任される

血気盛んだった冨田シェフは「俺を1カ月使ってくれたら絶対に役立つようになります」と周囲に宣言していたといいます(写真・後列左から5人目)

そういった地道な努力の結果、小さな信頼を積み重ねていった冨田シェフ。少しずつですが大事な仕事を任されるようになった彼に、さらなる大きな転機が訪れました。

冨田シェフ
冨田シェフ
「土日は結婚式のためのウェディングケーキを用意するんですが、それまでは現場のトップである寺井則彦シェフが作るのが慣例でした。そんなある日、作業に取り掛かろうとしたシェフが、ふと僕を見て『ケーキの下塗りをしておけ』って言ったんです」
「その場にいた先輩たちがザワザワしたことを覚えています」
冨田シェフ
冨田シェフ
「下塗りが終わったら、次にクリームを絞れと言われました。そして最後に飾り付け。それを最後まで横で見ていたシェフは『よし、来週からはお前がやれ』って」

その翌週から結婚式の花ともいえるウエディングケーキ作りは冨田シェフの仕事になりました。ミクニに入って2年の月日が流れていました。


独立した師を追って街場の店へ

2008年「シャルルプルースト杯」で優勝した際の写真。コンテストに出ることは冨田シェフの大きな目標でした

未経験かつ最底辺からのスタートという逆境を見事に跳ね返した冨田シェフは、次第に頭角を表していきます。自分の仕事に自信が持てるようになると、今度はコンテストに興味を持つようになりました。

冨田シェフ
冨田シェフ
「もともと造形には興味があったんですが、ミクニという会社はコンテストにあまり熱心ではなかったんですね。でも、師匠といえる存在の寺井則彦シェフがコンテストに出ると知って、俄然興味が湧いたんです」
「寺井さんみたいなすごいシェフが3人揃って世界を相手に戦う。こんなカッコいいことないでしょう」

さらなるステップアップを目指してミクニを辞めた冨田シェフ。コンテストに有利とされるホテルで働く選択肢もありましたが、冨田シェフが選んだのは、師匠である寺井シェフがミクニを辞めて1年後にオープンした「エーグルドゥース」でした。

冨田シェフ
冨田シェフ
「ホテルは時間も余裕があるし、色々と恵まれているのは間違いないと思います。でも、僕はお客さんの目の前でショーケースでケーキを売るような街場の店で働きたいという思いが強かったんです」

それがあるべきお菓子屋の姿だと思ったのは、お父さんの大きな背中をずっと見てきたからかもしれません。

街場の店で乗り越えた第2の試練

「街場の店は忙しいからコンテストで活躍できないという思い込みを払拭したかったんです」

冨田シェフのパティシエ人生の大きな夢となったコンクールでしたが、それよりももっと大きな目標がありました。それは「おいしいお菓子を作ること」。その信念はずっと揺るぐことはありませんでした。

冨田シェフ
冨田シェフ
「コンクールで活躍しても、お菓子がおいしくなかったら残念ですよね。お客さんはシビアですしもう足を運んでくれないでしょう。大事なのはおいしいお菓子を作れること。それには街場のお店で研鑽を積むことが大事だって考えたんです」
「カルチェ・ラタン」のショーケースには色とりどりのケーキや焼き菓子が並びます

コンテストのためには働く環境を変えたほうがいいとアドバイスされたこともあったといいます。そして、冨田シェフの負けず嫌い魂に火がつきました。

冨田シェフ
冨田シェフ
「街場の店で働いて忙しいからコンクールで活躍できないって言い訳している奴らを黙れせたかったんです。この試練だって絶対に乗り越えてやるって」

国内のコンテストで順調に成績を残した冨田シェフは、2008年に200年以上の歴史を誇る、フランスで最も権威ある製菓コンテストの一つである「シャルルプルースト杯」に輝きます。さらに2013年の世界大会「クープドゥモンド」で準優勝という素晴らしい成績を残したのです。

この時の「クープドゥモンド」日本代表の監督は寺井シェフ。師との縁を感じずにはいられません
冨田シェフ
冨田シェフ
「コンテストは誰だって挑戦できる。それを証明できたんじゃないでしょうか。そういえば、僕の影響でうちの父親もコンテストに出て立派な成績を残したんです。オヤジのお菓子に対するピュアな情熱は本当に尊敬しています」

それではスイーツを作っていただきましょう!

人気の焼き菓子「ケークフリュイ」を作っていただきます

最初にお店で修行を始めた時にケークの担当だったという冨田シェフ。それゆえ、この焼き菓子には並々ならぬこだわりを持っているといいます。

冨田シェフ
冨田シェフ
「うちはケークだけで25種類揃えています。ここまで種類が豊富なお菓子屋はあまりないと思いますよ。自宅はもちろん、おもたせにも喜ばれると思います」
ドライフルーツを練りこんた生地にイチジク、アプリコット、チェリー、クランベリー、レーズンなどを飾りつけていきます
冨田シェフ
冨田シェフ
「うちの祖母の家で採れた自家製の甘夏の砂糖漬けがいい働きをしています。ほのかな苦味が、酸味、甘味と一緒になることで、味がぎゅっと締まるんです」
シェフの作業を真剣な目で見つめる若き職人たち
「ケークフリュイ」(1350円)の完成です
冨田シェフ
冨田シェフ
「修行時代はやっぱり華やかな生菓子に憧れました。でもね、焼き菓子もいいんですよ。毎日焼きあがる表情も違うから楽しい。『お、今日はいい顔だな』ってね。ぜひ、食べにきてください」

これから乗り越えるのは、東京と地方の壁

「人間は志があれば、どこにいたって学べるし成長できると思うんです」

これからは東京だけでなく、地方からも積極的に発信することが大事だと語る冨田シェフ。インターネットの普及で世界はグッとコンパクトになりました。

冨田シェフ
冨田シェフ
「そりゃ東京にはいい店はたくさんあるけれど、そこで働くほとんどの人が地方出身者だったりします。東京にしかいい店はないのか。東京から田舎に帰ったら都落ちなのか。僕は違うと思うんです」
「カルチェ・ラタン」には冨田シェフの味を求め、今日も多くのお客さんが足を運びます

もちろん、その地域によってお菓子に求められるニーズは変わります。だったらお客さんに必要とされるものに自分のエッセンスを入れて提案すればいい。冨田シェフはそう胸を張ります。お父さんがやってきたように。

冨田シェフ
冨田シェフ
「うちみたいな店がどんどん地方にできたらいいですね。『あの街に行ったらあそこに行きたいね』って。そういう店が増えたら楽しいじゃないですか。どこにいたって学べるし、世界だって相手にできる。僕がそれを実践することで、いろんな人に勇気を与えたいんです」
「うちで働く子たちもわざわざ遠くから名古屋まで来てくれる。ここには学ぶべきものがあるって言ってくれるんです。嬉しいですよね」
 

取材・文/キンマサタカ(パンダ舎)
撮影/木村 雅章
動画編集/竹内道宏

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