天才親子に師事したパティシエが郊外の店で見つけた自分の生き方

天才親子に師事したパティシエが郊外の店で見つけた自分の生き方

2019/02/22

もともと引っ込み思案だったものの、鬼才と呼ばれたシェフのもとで修行を重ね、やがて世界大会でも活躍するパティシエとなった櫻智行。名古屋からほど近い稲沢市に店を開いて4年。スイーツを志したきっかけ、そして櫻シェフが師匠から受けた薫陶に迫ります。

Yahoo!ライフマガジン編集部

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輝かしい実績を重ねたパティシエがたどり着いた自分が自分らしくいれる場所

「パティスリー アン」があるのは名古屋駅から電車で10分の稲沢駅。一軒家を改装したかわいらしい外観が目印

前回の「大阪マリオット都ホテル」赤崎哲朗シェフからバトンを受けた櫻智行シェフは、赤崎シェフと名古屋マリオットアソシアホテルで修行を重ね、4年前に独立。名古屋から少し離れた穏やかな街並みが印象的な稲沢市に店を開きました。世界を相手に輝かしい実績を残した櫻シェフが、スイーツを志したきっかけを教えてもらいます。

櫻智行

櫻智行

「パティスリー アン」オーナーパティシエ

\\推薦者「大阪マリオット都ホテル」赤崎哲朗シェフからひとこと//

赤崎シェフ
赤崎シェフ
「クープ・デュ・モンド2005年代表選手で、前の職場では唯一無二の特別な先輩でした。素敵な人柄の櫻さんの作るお菓子の世界観は、ホテルで世話になっていた若いころから大好きでした。胸を張って『ファンです』といえる尊敬できるパティシエです」

日本を代表するパティシエが静かな街に店を開いたわけ

「パティスリー アン」は稲沢駅から徒歩3分ほど。駅から続く道沿いにあります

稲沢市は名古屋から少し離れた静かな街です。穏やかな話し口が印象的な櫻シェフがこの地に店を開いて4年が経ちました。今では日本を代表するパティシエとして知られる櫻シェフですが、生家が定食屋を営んでいたこと、そして手先が器用で物作りが好きだったこともあり、小さい頃から料理人になろうと考えていました。

櫻シェフ
櫻シェフ
「物作りが好きな子供でしたね。料理人になるとしても、実家を継ぐのではなく、フレンチとかの料理人になりたかったんです」
「物を作る仕事に携わりたかった。大工になりたいと思ったこともありました」

高校卒業後に入学した調理師専門学校の授業の中で、特に印象に残ったのが製菓の授業でした。素材の良さを活かしつつ、細かく造形を作り込むお菓子作りは、櫻少年が好きだった物作りに通じる楽しさがあったのです。

櫻シェフ
櫻シェフ
「それまでケーキはお母さんや女性が作るものだと思い込んでいました。でも、男の人が真顔でいちごを切って、クリームを絞る姿はかっこよく見えた。何より授業で作ったウェディングケーキは美しかったんです」
シックな内装で落ち着いた雰囲気の店内はいたるところに櫻シェフのセンスが投影されています

第1の師との出会い

いざ製菓の道を志した櫻青年が調理師学校を出て門を叩いた「パティスリーフリアン」は、専門学校の講師もしていた松島保英シェフの実家でした。「フリアン」には松島シェフとその息子・俊哉さんが働いていました。さらにお店に在籍はしていませんでしたが、俊哉さんの弟・義典さんも名パティシエとして活躍を続け、その名を製菓業界に知らしめていました。

櫻シェフ
櫻シェフ
「松島さんは昔かたぎの職人でしたね。最初の面接で『いい給料が欲しかったら他にいけ。でも、ここで5年頑張れば俺が絶対に一人前にしてやる』と言われましたから。実際に仕事は忙しくて厳しかったと思います」
「ほとんどの新人は5年続きません。でも、厳しいけど楽しかった。何より、やめると言う勇気がなかったんです(笑)」

「フリアン」はケーキ店の2代目など、様々な環境の人が働く店であり、櫻シェフと同じ年の先輩もいました。先輩でありライバルでもある彼らはいろんなこと教えてくれたといいます。分担した単調な作業を延々と続ける毎日は若者にとって非常にハードなものでしたが、心強い仲間の存在は櫻青年にとって頼もしく映ったことでしょう。

櫻シェフ
櫻シェフ
「新しいことを習ったら、絶対にそれをクリアしてやるという感覚でした。だから毎日に達成感と充実感があったんです。そして、目の前を走っている先輩に追いつきたいと思っていた。その環境がよかったんでしょう」
パティスリーフリアン時代の一枚(写真右)。「その時に叩き込まれた基礎が自分の血となり肉となったんです」(櫻シェフ)

第2の師との出会い

5年きちんと働きあげたのち、次の就職先として選んだのはホテル業界でした。ホテルは街場の店にはない食材を使うことができます。さらに、ウェディングがつきものとあって、ケーキにアイスと作るお菓子のバリエーションも豊富でした。パティシエとして総合的な力がつくと考えたといいます。

櫻シェフ
櫻シェフ
「ホテルって華やかなイメージがありますよね。20代前半はホテルに行くだけで緊張したし、特別な場所だと思っていました。だからこそ、どういうケーキを作っているのか気になった。松島さん親子も過去にホテルで働いていたし、自分も一度働きたいと思ったんです」
「松島さんは5年経ったら次の職場を用意してくれるんです。でも僕はお父さんが勧めた就職先を断ってホテルに入ってしまった(笑)」

ホテルで働き始めて2年後、ホテルの仕事にも慣れてきてころでした。時間を作っては製菓技術を習いに行くなど、かねてから親交のあった次男の松島義典シェフから「名古屋でもっと大きいことをしたいんだ」と相談を受けます。そして松島シェフと一緒に名古屋マリオットアソシアホテルへの転職を決意します。

櫻シェフ
櫻シェフ
「あの人の言うとおりにやれば、絶対に大丈夫だと思ってお菓子作りをしてきました。僕はマイペースな性格なんで、この人と一緒にいたら自分は変われるんじゃないかと思ったんです。」
その後13年にわたる師弟関係は名古屋の地でスタートしました

圧倒的な師の存在と見つけた自分らしさ

尊敬するパティシエのもとで働くことを決意した櫻シェフでしたが、同じ職場で間近に見る松島義典シェフの持つ技術の高さ、そして独創性は圧倒的でした。当時の櫻シェフは、一流と自分との違いをまざまざと感じたといいます。

櫻シェフ
櫻シェフ
「まず自分とはものの見方が違う。松島義典シェフがお菓子を見て『ここがいいね』と言っても理解できない。でも、それを『わからない』ではなくて『自分にもその良さがわかるようになりたい』と考える努力をしたんです」

師匠が正しいと言う道の先には明るい未来が待っていると信じて、お菓子作りを続けた櫻シェフ。その結果、技術やセンスが磨かれていったのではないかと、当時を振り返ります。

「松島シェフは怖い中にも優しさがある。愛を持ってダメ出しをしてくれるんです。ダメなものをダメと言ってくれるのは優しさですから」

名古屋マリオットアソシアホテルに移ってからは、コンテストにも本腰を入れるようになり、輝かしい成績を残しはじめます。もともとフリアン時代からコンテストには挑戦していました。フリアンの松島保英シェフはコンテストの第一人者で、決められた時間内に作品を作りあげるコンテストに出ることも修行の一環だと考えていたからです。

櫻シェフ
櫻シェフ
「菓子作りの基礎はお父さん。ベースとなる技術は店で働いていたお兄さん。そして、ホテルに移籍してからは飾り付けやコンテストなどの特殊な技能は松島義典シェフ。松島ファミリーには本当にお世話になりました」
「松島シェフのお母さんには店の掃除や整理整頓を教わりました。松島家のみんなが僕の先生だったんです」

そして見つけた自分らしさ

世界的な製菓大会「クープ・デュ・モンド」に出場した時のパーティーの様子。櫻シェフは部門賞に輝きました

師の薫陶を受けながら、コンテストでも立派な成績を残し、気鋭のパティシエとして注目を集めるようになった櫻シェフ。気がつけばホテル内でも松島シェフに次ぐ責任ある立場で現場を仕切るようになっていました。若手の成長を頼もしく感じていたこともあり、師のもとを離れる決意をしたときには、松島義典シェフの下について13年の月日が流れていました。

櫻シェフ
櫻シェフ
「もともと独立の希望は持っていたので、それは前から伝えていました。世界大会にチャレンジして、年齢も40歳。僕の下で手伝ってくれていたメンバーも世界に羽ばたいた。程よいタイミングかなと」
お菓子は全部手作り。今は奥様と二人で店を切り盛りしています

そして稲沢に店を開いたのが3年前のこと。静かな街の雰囲気は、櫻シェフの穏やかな人柄とよく似合っているようにも見えます。ホテル時代は指導する立場でしたが、もともと作業に黙々と取り組む内向的な性格ゆえ、「今のスタイルの方が大変なことも多いけど楽しい」と笑います。

櫻シェフ
櫻シェフ
「街のお店だからお客さんにあわせるのではなく、自分がいいと思うものが提供できたらうれしいですよね。今日のお菓子は、昨日よりちょっと良くなった。その繰り返し。でも、それが性に合っているし、小さなお店だからこそ、毎日その楽しさを味わうことができるんです」

それではスイーツを作っていただきましょう

作っていただくのは店の看板メニュー「ムラング シャンティイー」です
櫻シェフ
櫻シェフ
「26歳の頃に奥さんと行ったパリの『ルノートル』という店で食べたお菓子が原型です。生クリームをアーモンドのメレンゲでサンドした、フランスではよく見かけるお菓子ですが、今では店の看板メニューになりました」
温度を変えながらオーブンで2時間焼いたメレンゲ
櫻シェフ
櫻シェフ
「メレンゲにはグラニュー糖と粉糖の2種類を使います。細かい砂糖は先に溶け、目が粗いグラニュー糖はガリッとした食感が残ります。そして、長時間焼くことでキャラメル化してアーモンドの香ばしさも出ます」

最初は150度で10分。その後少しずつ水分を抜きながら50分かけて膨らませ、最後に庫内の熱で生地を乾かします。

生クリームは高脂肪と低脂肪半々。隠し味程度にバニラシュガーを入れます
高脂肪はしっかりとしたつのが立ち、低脂肪は立ちあがりが遅いぶん、すぐにすっと溶けます
櫻シェフ
櫻シェフ
「高脂肪と低脂肪では溶けるスピードが違うので、口の中に生クリームの余韻が残る。サクサクのメレンゲに負けない。存在感のある生クリームができるんです」
メレンゲに生クリームを絞って飾りつけたら
「ムラング シャンティイー」(430円)の完成です
櫻シェフ
櫻シェフ
「店を開く前にもパリに行ったんです。そして、このお菓子を食べたときに『これや、これや』って。自分の店を開いたらこのメニューをやろう。そして絶対にやり続けようと誓った思い入れのある大切なメニューです。季節によって栗を練り込んだり少しずつ変化を加えています。ぜひ食べに来てください」

小さなお店で見つけた未来

将来の夢を聞くと、少し考えたのちに、「もっと、いいお菓子を作ること」と答えた櫻シェフ。「いい」とはどういうことを指すのでしょうか。

櫻シェフ
櫻シェフ
「おいしいのはもちろん、作っても楽しくて、充実した時間だったと思えるものでしょうか。そして、その先にもっと素晴らしい何かがあるんじゃないかと思いながら、毎日お菓子を作っています」
「昔と比べたら労働時間は長いかもしれないけど楽しいんですよ」

櫻シェフが調理学校の学生時代、授業中に松島保英シェフが発した、何気ない言葉が今でもずっと忘れられないといいます。

櫻シェフ
櫻シェフ
「松島さんは『俺の毎日は仕事半分、趣味半分。人生メッチャ楽しいねん』って言ったんです。その時は軽い気持ちで聞いていたけど、今になってよくわかります。こんな楽しいことが、自分の仕事なのは幸せなこと。天職がどうかはわからないけれど、小さな頃から大好きだった物作りで生活できるのは本当に幸せだと思っています」
 

取材・文/キンマサタカ(パンダ舎)
撮影/豊田哲也

連載「My スイーツ メモリー」

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