スイーツの世界大会で頂に立った男「街場の店から伝えたいこと」

スイーツの世界大会で頂に立った男「街場の店から伝えたいこと」

2019/03/11

わずか2度目の挑戦で国内の大会を制し、2007年にはお菓子のW杯で世界の頂に立ったパティシエが新百合ヶ丘という街に店を開いた理由とは。世界一の男が飽くなき挑戦を続ける理由に迫ります。

Yahoo!ライフマガジン編集部

Yahoo!ライフマガジン編集部

世界大会で優勝したシェフが小さな街で挑戦を続ける理由

新百合ヶ丘駅から美しく整備された道路を5分ほど歩くと「パティスリー・エチエンヌ」はあります

小田急線新百合ヶ丘駅。新宿から電車で30分ほど。都心への高級ベッドタウンとして知られるこの街に、「パティスリー・エチエンヌ」はあります。この店を切り盛りするのは国内外のコンクールで輝かしい成績を残し、「お菓子のワールドカップ」とも呼ばれる製菓大会「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」で世界一の栄誉に輝いた藤本智美シェフです。

前回の「パティスリー アン」の櫻智行シェフからバトンを受けた藤本氏が、「スイーツ」作りを志したきっかけを教えてもらいましょう。

藤本智美

藤本智美

「パティスリー・エチエンヌ」オーナーパティシエ

\\推薦者の「パティスリー アン」
櫻智行シェフからのひとこと//

櫻智行シェフ
櫻智行シェフ
「周囲を引っ張るリーダーシップがあり、そして、なんでもできるオールマイティな才能を持つ尊敬するパティシエです!」

お菓子作りの道に進んだ意外な理由とは

世界大会で活躍した藤本シェフの原点とは

人生の大半をお菓子作りに費やしてきた藤本シェフは、小さい頃からものを作ることが大好きでした。少年時代のある出来事がきっかけで、料理の楽しさに目覚めたと振り返ります。

藤本シェフ
藤本シェフ
「両親は共働き。母親は看護師として働いていたので、小さい頃からお腹がすいたら、自分で何か作って食べていました。ある日ふと『僕がカレーを作ったらお母さん喜ぶだろうな』と思いたったんです。すぐに本でレシピを調べてその通りに作った。帰宅した母親はすごく喜んでくれました」
「月桂樹ってなんだろう?」と思いながら作ったというカレー(写真はイメージです)

愛する人が喜ぶ姿を見て、「これは面白い」と感じた幼き日の藤本少年は、いつかは料理人になりたいと将来の道を思い描きます。高校を出てからの進路も調理師学校への進学を選択します。期待を胸に進んだ専門学校でしたが、そこである事実に気がつき愕然とします。

藤本シェフ
藤本シェフ
「当時はバブルまっただ中でしたが、専門学校は1クラス50人で18クラスありました。ライバルの多さにおののきましたね。大半の生徒は洋食のコックを希望していましたが、僕は左利きだったし、和食も厳しい。だけど、製菓に進むのはクラスで3人ほど。ライバルが少ないという消極的な理由でお菓子の道へ進んだんです」

戦場のような毎日と師との出会い

駅から少し離れた閑静な住宅街にあるお店には朝から多くのお客が訪れ、新百合ヶ丘という街で広く愛されていることがわかります

専門学校を出た藤本シェフが入社した横浜プリンスホテルは、その年がちょうどオープンのタイミングでした。時はバブルの最後期ではありましたが、宴会やパーティーなどで厨房は連日大忙し。右も左もわからない新入社員だった藤本青年に与えられた仕事は洗い物でしたが、半年後には簡単な仕事を任されるようになりました。

藤本シェフ
藤本シェフ
「とにかく毎日が戦場でね。単に人手が足りなくて、僕らも仕事をしないと職場が回らなかったんです。今とは労働環境が違いましたから、朝の5時半から深夜まで働いて、もうボロボロでした。でも、そのおかげで仕事は早く覚えられたし、先輩にも可愛がってもらいました」
「あの頃は若かったから寝ないでもなんとかなったけど今はもうできないでしょう(笑)」

働き始めて数年後、若手に向けたコンクールに出ることになった藤本シェフは、職場の先輩に技術的な相談をします。そこで紹介されたのが、当時、東京プリンスホテルで活躍していた後藤順一シェフでした。当時はコンクール自体がメジャーな存在ではなく、シェフの中でも情報がなく、そこでコンクールで輝かしい実績を残していた後藤シェフを頼りにしたのです。

藤本シェフ
藤本シェフ
「後藤さんは僕の10歳上で、若い頃から注目を浴びていました。技術はずば抜けていて、神の手を持つ男とも言われていました。この人の手にかかったらできないことはないと、誰もが認める素晴らしい職人だったんです」

師匠とともに職場をうつし、コンクールへの本格的な挑戦が始まる

「後藤さんと一緒に働けるチャンスを逃したくないと思ったんです」

人づてに訪ねてから、後藤シェフとも個人的な師弟関係が始まりました。その後も横浜プリンスホテルで着実にキャリアを重ねた藤本シェフが、グランドハイアットに移ったのは32歳の時。師匠である後藤シェフがハイアットのオープンニングスタッフとして招かれると聞いて、いてもたってもたいられず「私も行かせてください」と直訴したのです。

藤本シェフ
藤本シェフ
「どうしても後藤さんと働きたかった。そして、職場と環境を変えて、師匠の元であらたにコンクールへの挑戦をしたかったんです。むかし、とあるコンテストで作り上げた作品を『仕上がりが汚い』と一蹴されたこともありました。後藤さんの言葉は奮起するきっかけを与えてくれるんです」
ショーケースには色とりどりのケーキが並びます。高い技術の中にもシンプルさを追求しているように見えます

師のもとで働けるようになったものの、「技術的な指導はほとんどしてくれなかった」こともあり、藤本シェフは大胆な方法を採ります。かつて後藤シェフがモナコのコンクールで40日間も家に帰らず仮眠室に泊まり作業を続けたというエピソードを聞いて、同じようにホテルの仮眠室に泊まり込んでコンクールの準備をしたのです。

藤本シェフ
藤本シェフ
「それくらいの覚悟で後藤さんの真似をしないと、神の見た世界、景色は見えないと思ったんです。手取り足取りの指導はなく、ただニュアンスで伝えてくれるけど、そこを自分なりに想像して作りあげていくしかなった。そうした決死の覚悟でコンクールに臨んだんです。結果は金賞でした」

ようやく気がついた周囲の支えと、仲間を信じることの大切さ

昔の自分は「なんで俺についてこれないんだ」と不満を口にするようなタイプだったと笑う藤本シェフ

藤本シェフがずっと憧れていた大会があります。それが製菓のワールドカップと呼ばれる「クープ・デュ・モンド」。師匠である後藤シェフが1995年に出場し、準優勝という成績を収めているように、日本を代表するシェフたちが出場する世界最高峰の大会ですが、藤本シェフは自分とは無縁の遠い世界のことだと思っていたといいます。

藤本シェフ
藤本シェフ
「でも後藤シェフのもとで働き、国内の大会で結果を残せるようになった。そして4回目の挑戦でようやく出ることができました。国内予選で優勝して本戦出場が決まった時、後藤シェフが握手をしてくれたんです。初めてのことでした。それがあまりに嬉しくて、僕は思わずこう言ったんです。『本戦で1位になったらまた握手をしてください』って」
そして臨んだ本戦、藤本シェフの日本チームは見事クープ・デュ・モンド優勝という栄誉に輝きました

大会でもいかんなく実力を発揮して大活躍した藤本シェフでしたが、優勝という栄誉と同じくらい大事なことを手に入れます。それまで、お菓子作りにおいて妥協することができず、それゆえ、他人を信頼することができなかったという藤本シェフが大会の中で得た気づきとはなんだったのか。

藤本シェフ
藤本シェフ
「それまではひとりでお菓子を作っているつもりでした。でも、素晴らしいパティシエたちとともに戦う中で、自分が100%やらなくてもいいんだと気が付いたんです。たとえば80%を作って、残りを他の人に任せれば30%の仕事をしてくれる。そうしたら110%の仕上がりになる。この大会ではチームワークの大切さを学びました。それは自分でお店をやるうえでとても大事なことだったんです」

それではスイーツをつくっていただきましょう

人気の「リベルテ・ソヴァージュ」を作っていただきます

2007年にリヨンで行われた「クープ・デュ・モンド」で優勝した際に作ったお菓子を、プチガトーにアレンジした一品です。藤本シェフにとって特に思い入れの深いスイーツといえるでしょう。

藤本シェフ
藤本シェフ
「バナナとチョコの組み合わせはまさに王道ですよね。チョコレートをベースに、甘みの強いバナナの風味を最大限に生かすように計算しているんです」
ソテーしたバナナとキャラメルのヌガーが入ったチョコムースを、キャラメルでコーティングします
コーヒーの風味のソースで大自然をモチーフにした飾りをつければ
「リベルテ・ソヴァージュ」(540円・税別)の完成です
藤本シェフ
藤本シェフ
「バナナの甘さはチョコレートと出会うことでさらに輝きます。どちらのおいしさも楽しめる自慢の一品、ぜひ食べにきてください」

そして見つけた新しい挑戦

「プリンスホテル、ハイアット、そして自分の店と、すべてオープニングを経験しているんです」

「世界一になったことで燃え尽きていた」藤本シェフが次に選んだ挑戦は、自分の店を出すことでした。知らない世界に挑戦するという事実は藤本シェフにとって、お菓子作りの新たなモチベーションとなりました。

藤本シェフ
藤本シェフ
「マドレーヌを焼いても、売ったことはありませんでしたし、価格設定だってわからなかった。だから、最初はぜんぜんお客さんが来なかったですよ。『ホテル』と『世界一』といういらない看板を背負って、変なプライドがあったんでしょう。でもある時から変わったんです」
街に愛されるようになったエチエンヌには多くのお客が訪れます

どう変わったのか。それは藤本シェフが「自分が本当においしいと思ったものを出そう」と開き直ったこと。余計な肩の力が抜けたシェフはそこで桃の生産農家と知り合います。「それまでさんざんおいしい桃を食べていたつもりだった」という藤本シェフは、農家で熟した桃を食べた瞬間、その甘さと旨さに、思わず膝から崩れ落ちてしまったといいます。

藤本シェフ
藤本シェフ
「これまで俺が食べていた高い桃はなんだったんだ。そうだそうだ、これが桃だよって。もう目から鱗がバンバン。お客さんの顔が見える店に立つ以上、お菓子作りはもちろん、素材ともきちんと向き合わないといけないって思ったんです」

素材の持つ力に感じ入った藤本シェフは、季節のフルーツを店のラインナップのメインに据えました。季節によってメインとなる果物は変わりますが、たとえば夏は桃を使ったお菓子が全体の2/3にもなります。新たな挑戦を見つけ自分を燃え立たせるものを見つけた藤本シェフは、「夢はいつか農家をやること」と未来を見据えます。藤本シェフのパティシエ人生とは、挑戦を続けること。あくなき探求心でこれからもおいしいお菓子を作り続けていきます。

店のモチーフである豚は幸福の象徴。エチエンヌのスイーツは多くの人を幸せにすることでしょう
次回もお楽しみに!

取材・文/キンマサタカ(パンダ舎)
撮影/木村雅章

この記事を書いたライター情報

Yahoo!ライフマガジン編集部

Yahoo!ライフマガジン編集部

グルメ、おでかけ、イベントなど、ライフスタイルを豊かにする情報を編集部が厳選して紹介します。

おすすめのコンテンツ

連載