世界大会で大活躍したパティシエ・伊藤文明の原動力は負けず嫌い

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2019/03/19

世界大会で大活躍したパティシエ・伊藤文明の原動力は負けず嫌い

お菓子のW杯といわれる「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」。偶然が重なりお菓子の世界に飛び込んだサッカー少年が、日本を代表するシェフになった道のりとは。世界大会で銀メダルに輝いたばかりの伊藤文明シェフがお菓子作りに抱く希望に迫ります。

Yahoo!ライフマガジン編集部

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2019年の世界大会で輝かしい成績を残したパティシエが築き上げた 自分のスタイル

「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」での活躍により日本中から注目を集めるパティスリー「メゾン・ドゥース」

京王線「南大沢」駅。駅の近くに大学があり、駅前のロータリーから伸びる道は広く開放的で、ここが新しく作られた街であることがわかります。住宅街を5分ほど歩くと「メゾン・ドゥース」が見えてきました。ここで腕を奮うのは、今年の「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」にも出場した伊藤文明シェフです。

前回の「エチエンヌ」藤本智美シェフからバトンを受けた伊藤氏が「スイーツ」作りを志したきっかけを教えてもらいましょう。

伊藤文明

伊藤文明

「メゾン・ドゥース」オーナーシェフ

\\推薦者の「エチエンヌ」藤本シェフからのひとこと//

「エチエンヌ」オーナーパティシエ 藤本智美
「エチエンヌ」オーナーパティシエ 藤本智美
「2019年のクープ・ドゥ・モンドに日本代表として出場した、素晴らしい技術を持つシェフです。人間としても尊敬できます!」

サッカー少年がお菓子作りの道に進んだ意外な理由とは

「メゾン・ドゥース」とはフランス語で「甘いおうち」という意味です

一流のパティシエにはある共通点があります。それは、仕事以外の時間は穏やかな雰囲気をたたえているということ。体全体にやさしい空気をまとった伊藤シェフは、「海と山しかない」愛媛県伊予市の豊かな自然の中で育ちました。小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「サンフレッチェ広島のジュニアユースに入っていたので、サッカーばかりやってましたね。中学を卒業したときにはブラジル留学する話もあったんですけど、家庭の経済事情で断念しました。将来はサッカーでメシが食えたらいいなってぼんやり思っていました」
伊予市は海と山に囲まれた自然豊かなところです(写真はイメージです)

地元では朝から晩までサッカーに明け暮れていたとか。サッカーは相手の股を抜いたり、意表を突くトリッキーなプレーが大好きだったといいます。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「それが今のスイーツ作りに活かされているかって?(笑)それはわからないですけど、意表をついたり喜ばせることは嫌いじゃないですよね。サッカーをやっていてよかったなと思うのはまだまだ後のことです」

高校卒業後フリーター時代のお菓子との出会い

職場は毎日戦場のような忙しさ。パティシエには体力が求められます

「そんなに上手ではなかった」と謙遜する伊藤シェフですが、サッカー強豪校に進学しました。しかし、徐々にサッカーから離れてしまったとか。何があったのでしょうか。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「よくある話で恥ずかしいんですが、高校に入ったらいろんな誘惑に負けてしまって。サボればサッカーの腕はどんどん落ちますし、次第に部活に行かなくなって、実業団でおじさんと混ざってサッカーをやっていました」
「当時は金髪にピアス。高校卒業後もサッカーを諦めきれなかったですね」

サッカーへの未練は絶ち難く、就職先を決めずに高校卒業した伊藤シェフは、そのまま松山のアパレル店で働き始めます。そのオーナーがワッフル屋も経営していた縁で、そちらの運営を任されことになりました。これが伊藤シェフとお菓子との出会いでした。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「飲食っておもしろいなって。それまでどんなバイトも長続きしなかったけれど、ここの仕事は楽しかったですね。そんなフリーター生活を1年続けていたら、それをみかねた親戚から就職先を紹介されたんです。横浜に来ないかって」

母の残したスイーツの記憶と忘れられない思い出

「ホテルでは最初はベルボーイになる予定だったんです」

親戚の厚情で横浜のホテルに就職することになった伊藤シェフ。料理に関係する職場で働きたいと希望を伝えました。中でも製菓を強く希望したそうです。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「ワッフル屋が楽しかったことが大きかったですね。あと、料理は厳しそうだけど、お菓子は楽そうに思えたんです。もちろん、そんなことなかった。学校を出てないから、当たり前に使われる専門用語さえわからず、3日目で辞めようと思いました」
小さい頃、お母さんはよくレアチーズケーキを作ってくれたそうです。あのおいしさは特別な記憶となって残っています(写真はイメージです)

3日目の朝、ホテルへ向かう伊藤シェフは退職を決意していました。この仕事は俺には無理だ。俯き加減で駅の改札を出る、そのタイミングで鳴ったケータイ電話。聞こえてきたのは「元気でやっている?」とたずねる母親の声でした。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「そんなこと言われたら元気だよって言わざる得ないでしょう(笑)。親ってすごいなあと思います。うちの母親は僕の人生をずっと見守ってくれた。自分も親になって思いますけど、それってすごいことだなって。おかげでその後2年半勤めて、大体の仕事を覚えることができました」

コンクールを転機に街場の店へ

店では多くの若者たちが将来を夢見て一生懸命働いています

最初は何もできなかった伊藤青年が職場で心がけていたのは、大きな声で挨拶と返事をすること、そしてすぐに動くことでした。おかげで職場の先輩たちには可愛がられ、それに応えるように伊藤シェフもどんどん仕事を吸収していきました。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「お世話になった先輩が辞めるときに、送別会で言われたんです。『お前みたいな新しい芽を潰しちゃダメなんだ』って。それがとてもうれしかった。今になってその言葉のありがたみがわかります。僕も若い子たちにそうしてあげたいし、自分の居場所を見つけてほしいと思っています」
「いつも通りの仕事をすること。それが難しいんです」

ホテルで大体の仕事を覚えはじめた2年後、先輩の勧めでコンテストに初めて出た伊藤シェフに大きな転機が訪れます。何もできなかった伊藤シェフの視線の先には、トロフィーを受け取る優勝者の姿が。そして「いつも通りの仕事ができました」という勝者のコメントに大きな衝撃を受けたのだとか。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「いつも通りの仕事ってなんだよって。こっちは必死にやって箸にも棒にも引っかからないのに。そこからですね、街場のお店で働いてみたいと思うようになったのは。レベルが高いところで自分を高めたい。この世界で生きていく覚悟、というよりも負けず嫌いなんです」

一生の師との出会い

「メゾン・ドゥース」のショーケースには多くのケーキや焼き菓子が並びます。地元のお客さんがひっきりなしに訪れ、街の人から愛されていることがよくわかります

伊藤シェフが新しい職場として選んだのは、天才と名高い堀江新シェフの「ラ・ヴィ・ドゥース」。転職先で見た風景は、それまでとはまったく異なる世界でした。ホテルと比べると労働時間は長いし、週1しか休めない。仕事の量は爆発的に増えましたが、それ以上に学ぶことが多くありました。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「この世界で生きていくには、俺はこれを乗り越えないといけないんだなって思っていました。つらいし、苦しかったけど、負けず嫌いなんで根をあげたくはなかったですね。ここでお菓子作りのすべてを学びました」
23歳頃の伊藤シェフと、師匠の堀江シェフの貴重な一枚。最後列の伊藤シェフの顔にはまだあどけなさが残ります

3年半でひと通り仕事を覚えて、その後の1年半はシェフに次ぐセカンドという立場で店を任されることになりました。この経験はのちに大きな財産になりました。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「自分の仕事だけじゃなく、チームでやっていくために、周囲のメンバーとどううまくやるか。そしてシェフの思いをどうやって伝えるか。お店をやるうえで、必要なスキルはそこで身についたと思っています」

忘れられない師匠からの言葉

「フランスに行くことを伝えてから師との距離が縮まった気がします」

職場では責任ある立場を任されるようになった伊藤シェフ。堀江シェフの厚い信頼は伝わってきましたが、面と向かって褒められたことは一度もなかったといいます。フランス留学のため「ラ・ヴィ・ドゥース」を卒業した後も師との交流は続きました。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「堀江さんは『20代でシェフになれ、30代で店を持て』と僕に言いました。そのためには、たくさん引き出しを持てと。チャンスはみんなに必ずくる。それを絶対につかめ。そのための準備をしておけ。どれが正解なんて今はわからないからたくさん勉強しろ」
あの時のシェフのように若手に仕事を任せているか自問する日々です

そんな伊藤シェフが忘れらない光景があります。それは若手の登竜門とも言われる「ルクサルド・グラン・プレミオ」で見事グランプリに輝いた日の、コンテストが終わった直後のことでした。その前年に挑戦して惨敗した伊藤シェフは、この年のコンテストに賭ける意気込みに並々ならぬものがありました。審査員は堀江シェフで、当時の伊藤シェフは小笠原伯爵邸に籍を置いていました。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「終了の30秒前にギリギリで作品が仕上がったんです。フーッとひと息ついていたら、堀江さんがすっと近づいてきた、そして『素晴らしい、成長した』って。堀江さんの店を卒業してから2年。優勝よりもそっちの方がうれしかった。だって、初めて褒められたんです。あのときの感動は一生忘れられないでしょう」

それではスイーツを作っていただきましょう

作っていただくのは人気メニュー「ミルフィーユ・ア・ラ・メゾン」(420円)です
伊藤シェフ
伊藤シェフ
「サクッとした口当たりで、ハラッと口の中でほどける食感。かつて大会に向けて試行錯誤を続けた末に生み出した、思い出がたっぷりつまった生地なんです」
少しだけ生クリームが入ったカスタードクリームと生地を重ねていきます
伊藤シェフ
伊藤シェフ
「カスタードクリームのやわらかさと、パイ生地の食感のバランスを大事にしています」
最後に粉糖で化粧をしたら
「ミルフィーユ・ア・ラ・メゾン」の完成です
伊藤シェフ
伊藤シェフ
「シンプルでどこか懐かしく親しみやすい、お菓子の定番ですが、素材と製法にこだわっています。同じお菓子でもこれだけ違うんだって思ってもらえたらうれしいですね」」

最後に、シェフにとってお菓子とは

「お菓子は嗜好品だから時代と共に変わる。年齢を重ねたら考え方も変わる。勉強の連続ですよね」

そして30代で自分のお店を持つことができた伊藤シェフ。田舎で育ったシェフにとっては、都心よりも郊外のほうが自分に合っていると感じたのだとか。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「お客さんと直で接することができるから街場の店はいいですよね。どういう人が買うのか、そして反応も観られる。うれしいこともあるし、厳しい言葉もいただく。だからこそ、やりがいがあるし、生きているって感じがする。従業員を養わなくちゃいけないからハラハラもします。でも、そのヒリヒリも嫌いじゃない。燃えますよね」
「お菓子は自分を成長させてくれて、生きがいも与えてくれたし、仲間とも出会えた。お菓子があったから僕は輝けたんです」

シェフのパティシエとしての原点は、もしかするとお母さんが作ってくれたレアチーズケーキなのかもしれません。

伊藤シェフ
伊藤シェフ
「母親がたまに作ってくれるレアチーズケーキを兄弟3人で分けて食べたことが僕の原風景。楽しみだったし、おしいかったですね。実家が裕福でないことも理解していたから、お菓子はずっと特別なものでした。そんな幸せを提供できる仕事って幸せなことだって思っています」

取材・文/キンマサタカ(パンダ舎)
撮影/豊田哲也

vol.12もお楽しみに!

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Yahoo!ライフマガジン編集部

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