BRUTUS編集長が語る「平成の東京、これからの東京」

BRUTUS編集長が語る「平成の東京、これからの東京」

2019/03/25

雑誌が絶えず新たな流行を作り続けていた平成という時代に、マガジンハウスの編集者として、東京と対面してきた雑誌『BRUTUS(ブルータス)』編集長の西田善太さん。今回はブルータスの足跡から30年にわたる平成の東京について語っていただきましょう。

Yahoo!ライフマガジン編集部

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\語る人/

『BRUTUS』編集長 西田善太さん

1963年生まれ。早稲田大学商学部卒業。博報堂のコピーライターを経て、1991年マガジンハウス入社。カーサ・ブルータス副編集長を経て、2007年12月よりブルータス編集長

平成が始まったばかりの1991年(平成3年)にマガジンハウスで編集者としてのキャリアをスタートした西田善太さん。現在はカルチャーやファッションを扱う人気雑誌『ブルータス』の編集長を勤める敏腕編集者です。30年間に渡って東京のあらゆるカルチャーを見つめてきた西田さんですが、実はここのところ「東京はみんなの“お手本”でなくなった」なんて考えているそう。その一方、西田さんは「東京は依然として楽しい街」だとも語ります。う〜ん…一体どういうことなんでしょうか?

今回は西田さんが「東京らしい」お店として挙げてくれた駒沢のカフェ「バワリー・キッチン」でお話を伺いました。

いまのワインブームの源流には、バワリー・キッチンがある

今回、西田編集長が取材場所に指定したのは「バワリー・キッチン」。東急田園都市線・駒沢大学駅から徒歩約15分、駒沢公園のほど近くにひっそり佇むカフェだ

後に表参道の人気カフェ「ロータス」「モントーク」を手がけるなど、カフェブームを巻き起した空間プロデューサーの山本宇一さんが、1997年にオープンした世田谷区駒沢のカフェ「バワリー・キッチン」。実は、ブルータスは2000年7月15日号の特集で、16ページという大きなスペースを使って、こちらのお店を紹介し、カフェブームに火を付けています。

今や入手困難となっているブルータスNo.459(2000年7月15日号)の特集「…で、café」。音楽ユニットm-floがカフェをテーマに作った楽曲の8センチCDを付けたことが話題となった

――当時オープンして間もなかったバワリー・キッチンを、ブルータスで大きく扱った理由を教えてください。

西田編集長
西田編集長
「とにかく『おもしろかった』からですね。昼間は普通に良い感じのカフェなんだけど、夜は遊び場みたいになる。たしか深夜3時くらいまでやっていたんですよ。食事が充実しているし、お酒も飲める、長居をしてもそんなに料金は高くない。東京の中心部と郊外との中間に位置する駒沢という立地もポイントでした。遊び人たちの“中継地”みたいな場所で、みんな家に帰る前についつい、ここに寄ってしまう。22〜3の可愛い学生から50代のおじさん、時には有名芸能人まで、本当に色んな人が来ていて、みんな仲良くなる感じでもないんだけど、『ここ良いよね』という感覚を共有しているように思えました」
2000年7月15日号の特集ページより。今も夜な夜な老若男女が集っているというバワリー・キッチンだが、当時はこの通り行列が出来るほどの人気だったそう

――特集の反響はいかがでいたか?

西田編集長
西田編集長
「その号はものすごく売れて、しばらくしたら日本中に個性あふれるカフェが沢山できました。いわゆる『カフェブーム』のタイミングにぴったり合った。ところが2000年代後半になると、カフェの気分がワインバーの気分に変わってきた。そこで2011年に『おいしい酒場』という特集をやったんです。どんな店かと言うと、カフェであり、イタリアンであり、ビストロでもあって、良いカウンターがあって3000円から5000円ぐらいのワインがある。そして気持ちの良い店主たち数人で回していて、それほど客を選別しなくて、良い音楽が流れている。これって完全にバワリー・キッチンからの流れだな、とその時思いました」
西田さんが取材中にちょっと迷って選んだのが「栗とゴルゴンゾーラペンネ」(950円)。開店当時からあるバワリー・キッチンの人気メニュー

――今流行のワインバーの源流はバワリー・キッチンにあり、と。

西田編集長
西田編集長
「そういう流れを感じる、ということです。ちなみに特集『おいしい酒場』で取材した33〜4歳の人たちがやっている店に行くと、その十数年前に出たバワリー・キッチンを特集したカフェ号が置いてあるんです。彼らは学生時代にブルータスを手にとって『いつかこんな店をやろう」と思っていたということなのではないでしょうか」
 

90年代に“ニュース”で溢れていた東京から、“ニュース”がなくなっていった

――今回は「平成を振り返る」的な特集なんですけど、平成の前半…つまりは90年代の東京で印象に残っている場所はありますか?

西田編集長
西田編集長
「90年代はやはり渋谷ですね。1994年に発売されたブルータスの東京特集で、編集者の川勝正幸さんと『大人の渋谷』という特集を作りました。当時の渋谷はチーマー全盛期で、“子供”に占領されていたんですが、昔から続く良いレコード屋、本屋、劇場もあった。つまり文化がある大人の街でもあったんです。で、僕と川勝さんは『渋谷を大人の手に取り戻そう』という気概で、特集『大人の渋谷』を作った。歩き方を変えれば渋谷は大人のものになるって。ちなみに、この号で川勝さんは『渋谷のイメージは1975年につくられた』と書いています。75年はPARCO パート2が生まれた年、公園通りという名前が突然現れた。その年に、渋谷のカルチャーがはじまったと。そう考えると、今の渋谷は43歳、実はもう中年の入り口なのかもしれない(笑)」
メモをして整理しながら平成の東京カルチャーを紐解く西田さん
西田編集長
西田編集長
もはや東京はみんなの見本ではなくなった、というのが僕の編集者としての見立てなんですが、平成も最初の頃までは、東京を中心に話をする方が、ウケが良いという実感がありました。ネットがない時代でしたから、みんな雑誌を読むことで新しいことを参照していた。かつては新しいことが良いこと、変わっていくことが良いことだったから、みんなが新しい情報を欲しがっていたし、東京という街も新しさを提供し続けていた。要は東京にはいつも“ニュース”があったんです」
 

――そうした状況が変わったのはいつくらいのことなのでしょうか?

西田編集長
西田編集長
「2000年代の頭はまだ祭の“残り火”のようなものはあったけど、2010年代に入ると、東京特集が地方で受けなくなることが売上げの数字でも明らかになってきたんですよね。僕らは東京を舞台に雑誌の編集を通じて、色んなものを盛り上げてこようとしてきましたが、それがどうも変わってしまったぞ、と」

――なるほど。それはなぜなのでしょうか?

西田編集長
西田編集長
「あくまで僕の意見だけど、90年代に『東京っぽいもの』が持て囃された結果、『東京っぽいもの』の分子がそこらじゅうに散って、それこそバワリー・キッチンみたいなカフェが都内だけでなく、地方にもできたりする。そうなると、コモディティ化するというか、相対的に東京の価値が下がるわけです」
カフェブーム以降にうまれたカフェの“お手本”になったバワリー・キッチン
西田編集長
西田編集長
「そして2000年代くらいからは、わざわざ東京のニュースを調べなくてもいい、という雰囲気ができ始める。東京っぽいものを追うことに、みんな疲れちゃったのかもしれない。もしくは『地方で良いじゃん』『東京は関係ない!』と切ってしまうほうが、効率が良くなってしまった。また別の角度でみると、東京的なものの飽和により、地方独自のニュースの価値が上がったのかも」

——特別だった東京が、もはや特別でもなんでもなくなったと。

西田編集長
西田編集長
「だからこそ、いま僕らはあえて『東京らしさ』を考えてみなきゃいけないと思っているんです。それで2018年3月15日号で、こんな特集を出しました」
BRUTUSNo.865(2018年3月15日号)「東京らしさ」
西田編集長
西田編集長
「実はこの本って2017年に亡くなったかまやつひろしさんの特集なんです。松任谷由実さん、松任谷正隆さんと『かまやつさんの命日に本が作れないか』と話をしていて、いろいろ考えた結果、かまやつさんは一番『東京らしい』、そしてカッコいい人だということで生まれた企画。かまやつさんって、海外で音楽や食文化を見て、それを全部東京に持ってきていた人なんですよ。センスのいい人だから、仲間内のミュージシャンや業界の人にも影響力がとても強くて、彼が見極めたことが実際に“流行ったり”していた」

——完全に東京という街の空気を支配できる存在だったと。

西田編集長
西田編集長
「かまやつさんに限らず、1950年代から60年代はそういう限られたコアな人だけが、東京の良いところ、良い店を知っていました。そして90年代までは、とにかく雑誌がそれをみんなに伝えまくっていた。東京はカッコいい人が集まってきて、いろんなものを投げ込んで文化を作ってきたんですよ」

——ゆえに、かつてはいろいろなカルチャーが生まれていったわけですよね。

 
西田編集長
西田編集長
「はい。その一方で、どこか即物的というか、店の移り変わりも早くて……たとえば前まであった店が、翌日にはなくなっていて、数日もすればそこになにがあったかさえみんな忘れてしまう、みたいなことが普通だった。もちろん『それが東京だ』とも言えるんだけども。ただ、ここ10年で変わってきたというか『前にそこにあった店が何だったのか覚えておこう』というムードがようやく起こるようになってきました」

——なるほど。

西田編集長
西田編集長
「これはそれまでにはなかった空気の変化ですよね。だからこそ僕らは今、東京の『らしさ』を探しているんです。その街を隅々まで歩いて知らなかった店を発見したり、改装中の店を見つけたり、通りと通りの隙間を探索したり。新しく変わることが『東京っぽい』としたら、変わらない『東京らしさ』をやっと探したいという当たり前のところに落ち着いてきた。『大人の渋谷』特集で川勝正幸さんが書いた“町は歩いている人に優しい”って言葉が、今こそ本当の価値を持ち始めた気がします」

今、西田さんが注目しているこれからの「東京らしい」場所

「自分にとって3軒いい店があれば、その街は行くべき街」と語る西田さん

あらためて「東京らしさ」を探すことになった西田さん。実はここ10年、それまでとは異なるスタイルで東京を楽しんでいらっしゃったようです。それは気になる!ということで詳しくお話をうかがっていきましょう。

西田編集長
西田編集長
「2016年に『酒場のある商店街へ。』という特集を作ったんです。あちこちの商店街を取り上げて、例えば京成立石で5軒をハシゴするみたいな感じで、街を“点”ではなくて“面”で遊ぼうと提案したんです。『あの店に入った』ではなくて『あの店とあの店を組み合わせたら面白い』 だろうと」

――京成立石などはここ数年で、若い人たちからも面白いと言われるようになっているエリアですね。

西田編集長
西田編集長
「はい。たとえば大企業って、都心の大きな商業ビルの中に店舗を集めたりしますよね。あれも一つの編集であり、街のようなものですが、店の流行りすたりで入れ替わっていくでしょう。そういうことではなくて、ずっと店が残っている街で『混んでいるから今夜は別の店に行く』みたいなことを繰り返しているからこそ、街は存続していく。地方創生とかで人が集まる成功例を調べれば調べるほど、誰かが考えた仕事の企画書で動いてるのではなくて、小さな動きがたくさん起こって、それが全体としてまとまっていったり、一つの店や一人のカリスマがみんなを牽引してその土地を面白くしていくという動きが見えてきます」

――土地の人達自身が時間をかけて「らしさ」を作り上げていくんですね。

西田編集長
西田編集長
「例えば森下に『喫茶ランドリー』というお店があるんですけれど、そこはドラム式洗濯機が4台あって、コーヒーを飲みながら、洗濯もできるんです。昼間は近所の主婦が、洋服のお直しをとても安価で引き受けたり。すごくオープンな店で、老若男女いろんな人がわらわら集まって、勝手気ままに過ごす場所ができている。森下には、その他に『リズム・アンドベタープレス』っていう印刷屋さんが夜だけつまみのおいしい立ち飲み屋になったり、コンビニなのに夜になると音楽マニアが集まる通称『レコードコンビニ』というお店がある。どの街にも言えることだけど、3箇所行ける店があれば、面白いし盛り上がると思いませんか? 一軒コアな店があれば、その街は一気に変わる可能性だってあると思うんです。そういう意味では、東京はまだまだいける……どころか、もっともっと面白くなっていくと思いますよ」

ブルータスの西田編集長が語る「平成の東京」はいかがだったでしょうか。東京はかつてのように“お手本”ではなくなったかもしれないけど、相変わらず楽しい街です。むしろ今、東京ならではのスポットが、次々に誕生、あるいは再発見されていると言っていいでしょう。もしかすると、あなたのご近所にも「東京らしさ」が隠れているかもしれませんよ。

 

取材・文/吉田大
撮影/川村将貴

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