愛知・蟹江町 小牧・長久手の戦いの舞台となった城「蟹江城」

2019/04/03

愛知・蟹江町 小牧・長久手の戦いの舞台となった城「蟹江城」

近鉄蟹江駅から徒歩で十五分ほど。「蟹江城址公園」は静かな住宅街の一画、その名も城一丁目にあります。かつてこの蟹江城をめぐって、秀吉軍と織田・徳川連合軍による戦いが繰り広げられました。現在は整備された公園内に蟹江城址碑が立つばかりです。

中広

中広

伊勢湾を望む交通の要衝に築かれた城

蟹江城は、城址公園の説明板にあるように、永享年間(一四二九〜四一)に北条時任が築いたとされるのが一般的です。

住宅地にひっそりとたたずむ蟹江城址公園。蟹江町歴史民俗資料館から徒歩2分ほどの場所に位置します

しかし、時任の父である時満が築いたという伝承も残っています。富吉神社の由緒によれば、境内に鎮座する銭洗い弁天は、北条時満が蟹江城築城のために鎌倉より勧請したのが始まりで、その霊水で金銭を洗って築城したと伝えます。

また、『尾張志』には、渡辺源十郎という人が築き、その子與三郎まで二代にわたり住んだと記しており、だれが築城したのか、確たることはわかっていません。

蟹江城址公園に立つ石碑「蟹江城址碑」。大正4年11月、蟹江町教育会により建立されたもので、平成24年の城址公園整備によって現在地に移設されました

城の規模についても、『尾州古城志』では東西南北各四十間(約七二メートル)とありますが、『尾張志』になると東西五十四間(約九七メートル)、南北五十間(約九〇メートル)と、大きさが異なっています。ただ、両書も大手口(追手口)が南にあり、四方に三重の堀をめぐらしていたと紹介しています。

また、戦国時代には本丸、二の丸、三の丸の三郭を有していたと、『山口家伝』などの文献に散見されます。

大野麻子さん

大野麻子さん

蟹江町歴史民俗資料館 主任学芸員

秀吉が雪辱を期して仕掛けた蟹江合戦

天正十二(一五八四)年六月、蟹江城を舞台に激しい戦いが行われました。三月に始まった小牧・長久手の戦いの一局地戦でしたが、秀吉にとっては、長久手で徳川家康に大敗を喫した雪辱戦であるとともに、大きな意図があったのです。

花井昴大さん

花井昴大さん

蟹江町歴史民俗資料館 主事学芸員

秀吉軍の主将の滝川一益は元蟹江城主で、当地の事情に通じていました。さらに、蟹江城主の佐久間正勝の留守をあずかっていた、前田長定の内応を取り付けていました。九鬼水軍を伴った一益は、首尾よく入城を果たします。

ところが、城内では鈴木重安・重治兄弟らの抵抗に遭い、海上にあった九鬼水軍との連携も潮時を逃すなど手間取っているうち、駆けつけた織田・徳川連合軍に包囲されてしまいました。一万とも二万ともいわれる織田・徳川の大軍に対して、一益は一千ほどの手勢と共に、籠城戦で応じました。

家康が勝利し落城 翌年の大地震で崩壊

遠浅の海に面し、湿地帯で三重の堀が囲む蟹江城の防備は堅固だったようです。城への厳しい攻撃は約二週間にわたりました。一益も奮戦しましたが、ついに和睦を受け入れ、開城します。秀吉は戦力の投入が遅れ、その野望は潰えてしまいました。

蟹江合戦(蟹江城合戦)と呼ばれるこの戦いは、江戸時代の軍記物などに多く登場するものの、日本史の教科書で触れられることはほとんどありません。しかしながら、戦国末期の儒医江村専斎の談話を伊藤宗恕がまとめた『老人雑話』では、蟹江合戦こそが徳川家康の生涯における最も重要な勝利であると評価しています。

江戸時代後期の蟹江本町村絵図(部分)には、「古城跡」「古城堀」「城井」「古城橋」「南大手跡」などの名称が見て取れます

須成地区の龍照院は、最盛時には七堂伽藍十八坊を構えていましたが、蟹江合戦の兵火により、龍照院一坊と本尊のみが残ったと伝えられており、蟹江合戦の激しさがうかがえます。おそらく蟹江城も半壊の状態だったと思われます。

城は天正12年に起きた蟹江合戦と翌年の大地震で壊滅したため、残っているのは本丸井戸跡のみです

その後、秀吉と織田・徳川の間で和議が結ばれたことで、軍事上、蟹江城の重要性が失われ、そのまま捨て置かれていたようです。天正十三年十一月二十九日(一五八六年一月十八日)に発生した巨大地震によって壊滅し、廃城となりました。

ところで、蟹江町では「茶がゆ」を食べる習慣があります。一説によれば、蟹江城に籠城していた兵士たちが、敵の大軍が押し寄せてきた際に、茶を沸かしていた鍋に米を放り込んで食べたのが起源といい、城や合戦の痕跡は残っていませんが、思わぬところに戦国時代の蟹江との繋がりが見出されるものですね。

町制90周年事業として昭和53年に開館した蟹江町歴史民俗資料館。平成元年、蟹江町産業文化会館の竣工に伴い、併設となりました
館内では水に恵まれて発展した蟹江の歴史を、写真や展示品で紹介しています

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