伝統から現代へ。表現の最前線でパティシエが大事にしていること

伝統から現代へ。表現の最前線でパティシエが大事にしていること

2019/05/09

日本を代表する名店で修行を重ね、自らの店をオープンしたのが4年前。捧雄介シェフが大切にしていたのは自分の居場所を見つけることでした。捧シェフの作り出すお菓子のやさしさの原点に迫ります。

Yahoo!ライフマガジン編集部

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偉大なシェフたちに師事した新進気鋭のパティシエが築き上げた自分のスタイル

千歳烏山を代表する菓子店として名高い「パティスリー ユウ ササゲ」

京王線「千歳烏山」駅は新宿駅から15分程度の場所に位置し、駅前には商店が多く並ぶ賑わった街です。古い店も多く、どこか懐かしさを感じさせる魅力的な駅前から5分ほど歩くと「パティスリー ユウ ササゲ」が見えてきます。捧雄介(ささげゆうすけ)シェフは数々の名店で日本を代表するシェフたちの薫陶を受け、次代を担う新進気鋭のパティシエです。

前回の「メゾンドゥース」伊藤文明シェフからバトンを受けた捧氏が「スイーツ」作りを志したきっかけを教えてもらいましょう。

捧雄介

捧雄介

「パティスリー ユウ ササゲ」オーナーパティシエ

\\推薦者の「メゾン・ドゥース」伊藤文明シェフからのひとこと//

伊藤文明シェフ
伊藤文明シェフ
「フランスの伝統菓子を現在に。時代にあった表現をとても得意とする前衛的なパティシエです。お店のオープンも同じくらいで、いつもいい刺激を与えてくれています!」

手先が器用だった青年がお菓子作りを志した理由とは

パティスリーの外観を彩るかわいらしい緑色が道行く人の目を引きます

幼い頃から甘いものが好きだったこともあり、新潟県内の高校を卒業後に調理師専門学校に進学したという捧シェフ。小さい頃からスーツを着たサラリーマンになるというイメージを持てなかったと語るように、手に職をつけて仕事がしたい、身一つで稼げる職人になりたいと思っていたそうです。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「父親は鉄工所をやっていました。自分で何かを作る職人が身近にいたことが大きかったんでしょうね。親の背中を見ていたから、職人という一つのモデルは想像しやすかったんです。親はまだ現役で働いています」
小さい頃は「モロゾフ」のチーズケーキがなによりのご馳走でした
捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「僕が幼い頃はフランス菓子なんてほとんどありませんでしたよね。バタークリームを使ったケーキばかりで、でもあまり好きじゃなかったから、モロゾフのケーキを食べた時はびっくりしました。『おいしい!』って。このときの感動と喜びの記憶がどこかにあったんでしょうね」

自分の居場所を見つける才能

多くのスタッフを抱えて朝早くから厨房で精力的に動き回る捧シェフ

県内にも専門学校はありましたが、いちばん高いレベルで学びたかったという思いで東京へ向かったシェフ。専門学校入学してからは、刺激的な毎日が待っていたといいます。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「それまでは田舎にいたから、違う環境で新しいことを学ぶことが楽しかったんです。僕はおそらく環境に適応する能力が高いんだと思うんです。僕自身は社交的ではないけど、なぜか社交的な人に縁があって、どんどん世界が広がっていった感じでした」
若き職人たちが切磋琢磨する厨房には常に緊張感があります

第一の師との出会い

もともと手先が器用だったという捧シェフは、専門学校卒業後に日本にフランス菓子を伝えた老舗「ルコント」に就職します。ここでは、お菓子作りの基本をすべて教えてくれた加登シェフとの出会いがありました。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「もう亡くなってしまった加登シェフには本当にお世話になりました。僕って負けず嫌いで生意気な若造だったんです。納得しないと動かないし、技術はないくせに気が強い。扱いづらいですよね。でも加登さんはそんな僕をとてもかわいがってくれて、菓子作りの基礎を叩き込んでくれました」
ルコント時代の一枚。後列左から7番目が捧シェフ

ルコントでの4年間はとても充実した毎日でした。本来ならまだやらせてもらえないような大きな仕事を与えられるなど、加登シェフから目をかけてもらい、捧シェフもそれに応えるように必死に努力を重ねました。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「当時は与えられた仕事をこなしていくことで精一杯でした。目の前の課題をクリアする、そうすると次の仕事が来る。それの繰り返しでした。だから今でも計量は苦手です。どうしてもスピードを優先したくなってしまうんです(笑)」

お菓子作りの方向性を決定づけた第二の師との出会い

ショーケースには色とりどりのケーキが並びます

捧シェフが次の職場として選んだのはフレンチの名店「オテル・ドゥ・ミクニ」。「ルコント」はクラシックなラインナップが多かったのに対して、「ミクニ」は時代の先端を行くスタイルで当時からスイーツ界では注目を集めていました。そこで出会ったのがのちにスイーツのW杯「クープ・デュ・モンド」で日本代表として活躍した寺井則彦シェフでした。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「実はミクニのことも寺井さんのこともまったく知らなかったんです。転職先を探していたらたまたま紹介されただけで。寺井さんの仕事ぶりを見て『これはすごいところに来たぞ』とようやく気づいたくらいでした」
こんな小さな果物の飾り付け一つでも寺井シェフから大きなインスピレーションを与えれらたとか

ルコント時代とは180度違うミクニの世界観に大きな衝撃を受けた捧シェフ。ケーキのレシピ、考え方、構成、見た目のビジュアル、寺井さんの作り出す世界観はとにかく斬新で見るものを圧倒する力がありあました。寺井さんなくして、いまの自分のお菓子はあり得ないと捧シェフは語ります。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「例えばケーキにフランボワーズを飾るとしたら普通は立てますよね。でも寺井さんは上の写真みたいに寝かせちゃう。『え、そっち?』って。ミクニではお菓子の自由さを学びましたね。でも、仕事は本当にきつかった。二度と戻りたくないです(笑)」

そして菓子作りに奥行きをあたえてくれたイタリアンの経験

「ミクニでレストランを経験したことが次のステップに進む決意を後押ししてくれました」

次の職場として選んだ「アロマフレスカ」は鬼才と名高い原田慎次シェフが腕を奮う新進気鋭の人気イタリアンでした。当時の捧シェフはお菓子作りの楽しさがようやくわかってきた頃でもありました。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「お菓子と料理は作る感覚がだいぶ違います。お菓子は持ち帰りを前提として保形性も大事な要素です。温度も制限があります。でも、レストランのデザートにはそれがない。その場で作ってその場で出す。フランス料理に「ショーフロア」という言葉があります。『熱いものは熱く、冷たいものは冷たく』。ここでは表現の自由さを学びました」
「お菓子はこうあるべきという思い込みにとらわれる必要はないんです」

レストランのキッチンにいるだけで、オーブンで焼かれる魚、炭火で焼かれる肉、ハーブの香ばしさ、さらに熱気が捧シェフの五感を刺激しました。レストランの厨房は常にシェフの創作意欲をかきたててくれました。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「お菓子作りのレシピは材料と製法の2次元的なものです。でも料理は、香り、食感などが含まれて作品となる。いわば3次元的な広がりを持つもの。僕はそれを2次元に落とし込むことをしたいと思ったんです」

フランス行きよりも大事にした師との約束

「お菓子の本場フランス行きはずっと夢でしたね」

中堅と呼ばれる年齢に差し掛かった捧シェフには次なる目標がありました。それは、洋菓子の本場フランスへ修行に行くこと。かねてからフランス行きを勧めていた師匠に相談したところ、返ってきたのは思いも寄らない言葉でした。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「あれだけフランス行きを勧めていた加登さんが浮かない顔で、どうしたのかと思ったら、『今度、自分の店をやるから手伝ってくれないか』って。とても言いづらそうでした(笑)。ルコントの時にお世話になったから、店をやるときは絶対に手伝うって決めていたし……必要とされて嬉しかったのでシェフのもとで働くことを決意しました」
ショーケースを夢中で覗き込む少年の姿は幼き日の捧シェフの姿に重なります

「ロワゾー・ド・リヨン」で加登シェフのもとで5年働き「義理は果たした」と感じたシェフは、「パティスリープレジール」へシェフパティシエとして招かれました。名実ともに店を任された捧シェフはこれまでないプレッシャーを感じたとか。それはプレイヤーからマネージャーへなることの難しさでした。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「これからは吸収したものを出す番なんだって。いろんな店で経験を積んだ今ならやれるという自信もありました。僕のことを気にしてくれた人に味で応えないと、2度と来てはくれません。そして、ちゃんとそれに応えた自信はあります。その時の経験がきっと今の僕を形作っているんでしょう」

それではスイーツを作っていただきましょう

作っていただくのは九州原産の日向夏を使ったタルトです
日向夏は白いワタに甘みがあって柑橘特有の香りがギュッと詰まっています
石垣のように積み上げたら接着と艶出しのためにシロップでナパージュ
甘く煮た皮をトッピングしましょう。柑橘類は皮に豊かな香りがあるので、それをいかにケーキに反映させるかが味の決め手です
「日向夏のタルト」(550円・税別)の完成。アーモンドクリーム入りのタルト生地にたっぷり果肉が乗った人気の一品です

最後にシェフにとってスイーツとは

ショーケースに並んでお客を待つ日向夏のタルトとケーキたち

プレジールの時に「産みの苦しみ」を味わったからこそ、今があるんだと笑う捧シェフ。今後の夢はありますか?

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「店を大きくしたいとかより、伝統として自分が偉大な師から学んできたことを、若い子たちに継承していかなくてはいけないと思っています」

日々お菓子を作ることはシェフにとって生活の糧ですが、若い職人を育てるのも自分の仕事である。「スイーツを未来につなげていく」と使命感を語る捧シェフの顔は輝いて見えました。

捧雄介シェフ
捧雄介シェフ
「でもね、それ以上にお菓子はおいしいものなんです。そしてお菓子作ることはなによりも楽しい。パティシエは僕の天職だと思っています」
おいしいお菓子を生み出すため、若き職人たちは今日も汗と涙を流すのでしょう。あの日の捧シェフのように

取材・文/キンマサタカ(パンダ舎)
撮影/豊田哲也

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