岐阜・羽島市 工夫を凝らした「兎月園」にしかないお菓子

岐阜・羽島市 工夫を凝らした「兎月園」にしかないお菓子

2019/05/02

羽島名物みそぎ団子。誰もが一度は口にしたことがあるのではないでしょうか。羽島市の味を作ったのが、老舗和菓子店、兎月園(とげつえん)です。竹鼻町とともに歩んで100年目。代々親子で力を合わせてつないだ、成長の歴史がありました。

中広

中広

大正から続く商店街で開業 みそぎ団子が誕生する

焼き菓子や生菓子など、豊富な和菓子をそろえる兎月園。竹鼻町内の和菓子店で修業を積んだ、廣瀬豊吉氏が大正8年に創業した店です。当時は、どぶろくで作った一味まんじゅうが売りでした。

「当時はサーカスが来るほど、竹鼻の商店街が栄えていた時代。店ではところてんや、お好み焼きも出していたと聞いています。和菓子の需要も高く、順風だったのでは」と3代目の八久(はつひさ)さんは話します。

手前の男性が初代、廣瀬豊吉氏。昭和10年に撮影されました。創業時から店の場所は変わっていません
昭和30年代の兎月園。配達にミゼットを使用していました

幅広く和菓子を製造していた初代。みたらし団子を発展させて、新たな商品を作ろうと模索しました。その中で、餡をいれた団子に味噌を塗って焼いた「みそつけ団子」が完成。これが「みそぎ団子」の原型であるといわれています。

2代目栄一氏の代になると、羽島市に新幹線が開通。駅のキオスクやヤナゲン羽島店への出店に力を注ぎます。流通しやすい焼き菓子に力を入れ、昭和47年から60年まで「はしまん」など数種類を卸していました。

また、「みそつけ団子」を「みそぎ団子」と改めたのも2代目。八剱神社の神主と連携して、考案されました。包み紙に、6月30日のみそぎ神事を受けて「みそぎ団子」を食べると夏バテしないと記して、売り出しました。20年前から、八久さんが広報に注力。マスコミなども通じて、「みそぎ団子」が広まっていきました。

羽島名物「みそぎ団子」は、藤まつりから盆明けまで販売。他にもイベント出店や創業祭でも味わえます

店の名前を広めたい 広報と店作りに注力

八久さんは高校卒業後、岐阜市の和菓子店、香梅で5年修業。23歳で兎月園に戻りました。他店で修業したのは、販路拡大に尽力した2代目を支えるため。兎月園の和菓子に、新風を吹き込みたいという思いがありました。

変わり大福を14種類ほど製造するなど、「ここでしか買えないもの」をコンセプトに、話題となる商品を開発していきます。「卸売りではなく、店に来てもらいたいという思いがありました」と八久さん。兎月園は人通りの多い道から外れた場所にあるため、足を運びにくいのが悩みでした。

昭和58年、現在の青山スクエア付近に2店メをオープン。人通りが多い場所は目につきやすく、名前がより知られるようになりました。しかし、家族経営では人手が足りず、八久さんの母親が病に伏せったのをきっかけに撤退。現在は本店だけとなっています。

また、地域のイベントにも参加。なまずまつりやJAまつりから、「みそぎ団子」での出店を勧められました。「当初、私たちにとって『みそぎ団子』は季節限定の菓子というイメージが強く、秋の祭りで作るのは抵抗がありました」と八久さんの妻、美奈子さんは振り返ります。一方で、羽島名物となった「みそぎ団子」を求める声は多く、試しに出店。団子が広く愛されていることを実感し、以来、積極的に出店しています。

1回目から参加しているサマーフェスティバルでは、毎年1,000本を売り上げるほど人気です。屋号を掲げていないブースで美奈子さんの顔を見て「兎月園さんだ」と声をかける人も多いといいます。「なまずまつりでは、商店街の一員として企画から携わりました」と八久さん。祭りを通して、高めあう仲間ができたそう。地域とのふれあいで、親しまれる店へと成長していきました。

その他にも、場所を知ってもらうためにチラシを手作りしたり、行きたくなる店になればと改装したり、足を運びたくなるように工夫。初代にできないことを2代目が、2代目にできないことを3代目が、とそれぞれ方針を持って得意分野を生かし、100年続く和菓子店となりました。

他店にない和菓子を作る さらなる100年を目指して

どこか落ち着く、明るい店内。壁には著名人のサインが並んでいます

店内には、「抹茶ムース大福」などの変わり大福や、「和け~き」など、独自の和菓子が並びます。現在力を入れているのは、奥田農園とのコラボレーションです。特大イチゴの美人姫を使い、「苺のブッセ」や「苺あんぱんのお饅頭」を販売。今後も新商品を開発予定です。

奥田農園の美人姫をジャムにして挟んだ「苺のブッセ」。「苺あんぱんのお饅頭」も注目
そぼろ状の栗きんとんをまぶした「栗粉わらび餅」。栗のシーズン限定で販売されます
大福の上にクリームと栗餡を入れた、変わり大福「モンブラン大福」。甘さ控えめの餡と、柔らかな餅が美味です

「これからも新しい商品を考えて、他店にない和菓子を作りたい。それを目当てに、遠方からも足を運んでもらい、さらに100年続く店にしたいです」と、八久さんは意気込みます。一方で、4代目の雅哉さんに店を任せたいとも考えています。美奈子さんも「初代が基礎を作り、2代目は販売に力を入れ、3代目が店の名前を広めました。それぞれの方法で店を興した結果、今の100年があります。4代目にも、自分の考えで店を引っ張ってほしい」と真剣な表情を見せました。

右から廣瀬八久さん、雅哉さん、美奈子さん。店名の由来は、「兎と月で縁を担いだ」や「初代と2代目が兎年生まれだったから」などが考えられますが、詳しくは残っていません

雅哉さんは幼い頃から店を手伝い、高校卒業後に八久さんと同じ和菓子店、香梅で修業。繊細な色使いや、生菓子を習得しました。6年の修業を得て、7年前から兎月園で製造を担当しています。「日持ちする商品の需要が高いので、これからは焼き菓子を増やしていきたいです」と雅哉さん。生菓子だけでなく「和け~き」や「あんぱんのお饅頭」も手掛け、目指す店作りを模索中です。

手際よく包餡作業を進める雅哉さん。八久さんと共同で作業を進めると、あっという間に終わります

2018年10月5日から7日の3日間は、創業100年祭を開催しました。創業祭は恒例行事ですが、100年祭限定の企画を実施。雅哉さんが腕を振るった、特別な和菓子も並びました。

温かい笑顔で迎えてくれる3人に、つい長話に花を咲かせてしまう常連客も少なくありません。温かな人柄の中に、100年愛される理由が垣間見えます。

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中広

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中広は岐阜に本社を置く広告会社です。 地元の情報を各戸配布のハッピーメディア(R)『地域みっちゃく生活情報誌(R)』のブランドで発信しています。

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