名古屋・中村区 老舗の鉄道模型専門店「早川模型製作所」
2019/05/09
太閤通りを北へ3筋入った、中村区若宮町3丁目に店を構える早川模型製作所。鉄道模型ファンの間では、品ぞろえの豊富さで知られる有名店だ。JRマークが貼られたガラス戸を開け、店内へ歩を進めると、大量の鉄道模型と笑顔の店主が出迎えてくれた。
中広
祖父や父の跡を追い店を継いで8年目
「ぼくにとっては、本当に可愛がってくれたおじいちゃんであって、商売人の祖父を知りません。昔はお客に水をかけて『帰れ』ということもあったと聞きますが、ぼくが中学の時に亡くなりました。ですから創業年を含めて 当時のことは詳しくないんです」
3代目の早川忠宏さんはそう断りながらも、耳にしていたことを話し出す。祖父の忠雄さんは知多出身で、実家の一画に小さな工場を建て、パチンコの出玉の調整をする機械や、輸出用の水槽コンプレッサーを作っていたそうだ。戦中は知多の軍需工場で板金をやり、戦後、名古屋へ出て、早川模型製作所を開いた。
早川忠宏さん
早川模型製作所 3代目
開業は、初の国産プラモデルが発売された昭和33年前後らしい。当初はおもちゃやプラモデルなども扱っていたが、徐々に鉄道模型専門に移っていく。店名に「製作所」とあるのは、自由形と呼ばれる、実在しないオリジナルの車両などを製作していたからだ。
「親父も目を悪くするまでは、自由形やメーカーも出していない車両を作って、販売していました。その親父もぼくが27歳の時に亡くなり、跡を継いだのですが、8年目の今も必死です。実は鉄道や鉄道模型にはあまり興味がなかったので、知識も乏しく、とにかく先代、先々代が笑われないように、早川も終わったと思われないようにと、それだけの思いで頑張っています」
本人曰く、血筋なのか、小さい頃からもの作りは嫌いでなかったという。また、趣味も車やバイク、カメラなどと多彩。常連客をはじめ、周りには先生となる鉄道模型マニアが多くいるので、知ったかぶりをせず、素直に聞いて学んでいると話す。
付加価値の付いたレア商品も定価販売
忠宏さんが受け継いできた経営方針に「定価販売」がある。
「この業界も今は安売りの時代で、2割、3割と引くのが当たり前となっています。でも、うちは定価での販売を基本にずっとやってきました。 他店に比べれば値段が高いわけですから、必然的に売れ残ってしまう。それらを在庫として持っておく。数年後、市場で見かけなくなると、うちに探しに来るわけです。早川へ行けばある、それを強みにしています」
注目すべきは、どんなに希少な商品であっても定価で販売すること。 いわゆるプレミアム価格を設けないのだ。時間と労力をかけて何軒も探し回るよりは、定価だけれども初めから早川模型製作所で購入しよう、という流れを作りたいのだという。
しかし在庫を大量に抱えれば、デッドストックにもなりかねない。忠宏さんは仕入れの難しさを語る。
「今年は仕入れの失敗が続き、売れる商品を見誤ってしまい、反省しているところです。大量に仕入れて売れ残っても、たとえば10年後になにかのきっかけで、火が付くこともあります。マニア心はなかなか読めません。鉄道模型の業界は再生産をしない傾向が強いので、うちの在庫を持つという戦略が生きてくるのです」
収集・製作・運転 3つが楽しめる模型の魅力
鉄道模型は、軌間(線路の幅)と縮尺によって種類が分かれる。日本でもっとも一般的なのが線路幅9ミリのNゲージで、サイズは実物のおよそ150分の1。早川模型製作所ではNゲージに加え、かつて主流だった 80 分の1サイズのHOゲージや、45 分の1サイズのOゲージなども取り扱っており、キットやパーツ類も数多くそろえている。
跡を継いだ忠宏さんが最初に取り組んだのが、通信販売の強化だった。 ウェブサイトを起ち上げ、入荷や在庫の情報をこまめに更新した。返品率も非常に低く、無断キャンセルもほぼない。ここ数年、件数は右肩上がりを続けている。
「専門店だからとっつきにくいとか、知識がない人間が行くと馬鹿にされるとか、そんなイメージを持つ人も多いですが、そうじゃないと言いたいです。気軽にご来店いただければと思います」
近年は鉄道人気もあって、鉄道模型の愛好家が増えてきた。集めたり、作ったり、走らせたりと、楽しみ方も多彩。息の長い趣味でもあり、30年、40年と続けている人も少なくない。 対象年齢も幅広く、世代を超えて語り合えるのも魅力になっている。
「ただ、今から鉄道模型を始めたいとなると、2万円くらいは準備してもらわないと難しく、金銭面でのハードルの高さが悩ましいですね。それでも始めてみたいという人は1回目だけ、うちに来てほしい。最初のイロハだけでも、うちでちゃんと説明を聞いてほしいです。あとは好きな店で購入してもらえばいいですから」と最後に入門者に向けて言葉をかけた。