愛知・みよし市 地域の歴史が眠る場所「満福寺」

愛知・みよし市 地域の歴史が眠る場所「満福寺」

2019/05/13

四百八十七年前の開山から、みよしを見守ってきた満福寺。三好大提灯まつりなどで親しみ深い、三好稲荷閣の東側に建っています。昭和十八年五月八日に全山が焼失したため、満福寺の歴史が分かる文献はほとんど残っていません。数少ない書物や伝承を頼りに、満福寺の歴史を紐解きます。

中広

中広

大寺院を前身に開山 検地で寺領が縮小される

「満福寺の歴史は、全海寺に残る過去帳を頼りにした推察の域を出ません」と話すのは、野々山宏全住職。先代の鋹麿(としまろ)住職が独自に調べたところ、満福寺の前身は天元五(九八二)年の西三河叡山大乗寺(以下、大乗寺)開創にさかのぼると推測されます。

大乗寺は、参河守(みかわのかみ)の命で京都から来た大江定基(さだのり)卿により、比叡山延歴寺の西三河分院として建立されました。現在、三好高校がある場所に伝法道場、薬師ヶ嶺に薬師堂を置き、東西二キロ、南北一キロにも及ぶ大寺院であったといいます。寺域は境川と逢妻川の上流一帯、つまり現在のみよし市全体と推測。広大な土地で食糧の自給自足も可能でした。

野々山宏全さん

野々山宏全さん

浄土宗西山深草派 満福寺三十四代住職

寛仁元(一〇一七)年、大江定基卿の恩師が亡くなると、藤原道長に阿弥陀仏像造立を請願。道長が皇后平癒のため定朝に作らせた二百体の一つ、阿弥陀仏坐像を奉安する阿弥陀堂が万寿二(一〇二五)年に建てられました。この阿弥陀堂が、今日の満福寺です。「ここから五百年ほど、満福寺についての文献は残されていませんが、大乗寺は徐々に衰退していったようです」と宏全住職は語ります。

現在の満福寺
桜や紅葉など四季折々の風情を感じます
本尊阿弥陀仏像が安置されています

満福寺が再び文献に登場するのは、享禄四(一五三一)年。大乗寺阿弥陀堂跡に残る阿弥陀仏坐像に魅せられた光空見桐上人によって、浄土宗西山流石塔山満福寺が開山されたとあります。天正十(一五八二)年には、三好城主から旧大乗寺領の百余ヘクタールを安堵されるも、三好城は数年で廃城したと考えられています。その後は領主不在で、満福寺は広大な寺領を見守っていました。ところが、文禄三(一五九四)年の太閤検地で、住職不在を理由に寺領は没収。残されたのは、満福寺境内と周辺の山林約五ヘクタールほどでした。

三好稲荷閣を遷座 にぎわいを取り戻す

三好上、大慈山、稲荷山に祭られていた三好稲荷尊が、陣土山(現在の陣取山)の山頂に「三好稲荷」として合祀されたのは享保十二(一七二七)年。領主の大岡越前守の依頼で、三好稲荷を満福寺境内に遷座することになります。

境内に本殿が建築されると、三稲荷尊を三好稲荷吨枳尼真天(だきにしんてん)と称し鎮守するため、文久元(一八六一)年九月五日の深夜に遷座の儀が執り行われました。その後、三好稲荷は失せ物探しの御霊験で評判になり、参拝者が急増。夏祭りも盛大に行われ、地域一帯に提灯が灯されたといいます。

昭和二年、全愛知県下新十名所人気投票で三好稲荷閣が二位に選ばれました。野々山弥蔵氏がこの記念と自身の還暦を祝って、昭和四年に縦三丈五尺(約十メートル五十センチ)、胴経二丈(約六メートル)の大提灯を奉納。夏祭りが三好大提灯まつりと呼ばれる大祭になりました。

三好稲荷によって満福寺にも注目が集まる中、昭和十八年五月九日夕方、火種の不始末が原因で釜屋付近から出火。本尊や仏具などを辛うじて避難させるも、満福寺の全伽藍が炎上してしまいました。檀家を中心に地域からの助けを得て徐々に復興し、本堂が再建されたのは昭和四十五年。書院、庭園を含む全伽藍の再興は昭和六十三年でした。

鐘楼門は本堂に遅れ、昭和57年に再建。堂々とした門構えは満福寺の顔です

満福寺からみよし市まで地域の歴史を垣間見る

「寺の歴史は口承の部分も多く、大乗寺の話などは地域の高齢な方はご存知の話です」と宏全住職。文献が残っていない分、みよし市には、まだまだ知られていない歴史があるのではないかと、想像はふくらみます。「昭和二十二年から二十三年にかけて三好中学校の造成工事に携わった人の話によると、工事中、土の中からお骨の入った甕が大小三十個ほど出てきたそうです。戦後の混乱期で特段の指示もなく、当時はそのまま埋め立ててしまったようですが、後から弥生時代の甕棺だったのではと気づいたそうです。証拠は残っていませんが、もし本当に弥生時代のものであったなら、みよしの歴史はもっと深まると思います」。さらに縄文時代にまでさかのぼる説もあり、満福寺一帯は古代から人が集まる場所であったとうかがえます。

地域住民との交流の場は時代と共に三好稲荷閣へと移り、現在満福寺に訪れる人は少なくなりました。「初午大祭など三好稲荷閣の行事は、地域の方に協力していただいています。三好稲荷閣をにぎわいの場として、満福寺は一人でも多くの人の心を導けるよう専念して参ります」と力を込めます。

開山から四百八十年以上、みよしを見守る満福寺。まちの奥深い歴史が眠っていそうです。

この記事を書いたライター情報

中広

中広

中広は岐阜に本社を置く広告会社です。 地元の情報を各戸配布のハッピーメディア(R)『地域みっちゃく生活情報誌(R)』のブランドで発信しています。

中広 が最近書いた記事

おすすめのコンテンツ

連載