かつてのオリンピックの熱狂を名護市嘉陽で感じる

2019/07/05

かつてのオリンピックの熱狂を名護市嘉陽で感じる

いよいよ開催が間近に迫った東京オリンピック。ところでかつての東京オリンピック(1964年)では米軍統治下だった沖縄でも聖火ランナーが走ったのをご存じでしょうか。そんなオリンピックの熱狂の跡を沖縄で探してみましょう。

DEEokinawa(でぃーおきなわ)

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東京オリンピックがやってくる

いよいよ2020年の東京オリンピックが間近になってきました。東京オリンピックでは空手が正式に競技として取り入れられることが決定したそうで、「空手発祥の地」を謳う沖縄としては嬉しいニュースですよね。

さて、そんな沖縄ですが1964年にあった東京オリンピックではまだ米軍統治下にも関わらず、聖火リレーが行われたことを皆さんはご存じでしょうか。1964年9月7日、台風のために1日遅れで聖火が那覇に到着。9月8日からスタートした聖火リレーは2日かけて那覇から大宜味村塩屋(おおぎみそんしおや)まで東海岸を通って、西海岸を回って那覇に戻るというルートを辿りました。当時は公の場では日本国旗が掲揚できなかったらしいのですが、この日ばかりは沿道が日本国旗であふれかえったらしいです。

そんなオリンピックの熱狂の跡、実は沖縄にまだ残っているのです。

名護市嘉陽の聖火宿泊碑

名護市嘉陽。東海岸側に位置しており、集落の前は美しい海が広がっている

名護市嘉陽は東海岸側に位置する小さな集落ですが、1964年の聖火リレーの1日目の修了地点だったそうで、聖火リレーのランナーはここ名護市嘉陽の嘉陽小学校に宿泊したそうです。

聖火宿泊碑

というわけで、聖火の宿泊を記念して「聖火宿泊碑」という石碑が建っています。

「1968年9月7日オリンピック東京大会の聖火当地宿泊を記念する」と彫られている
こちらは聖火台

宿泊のために種火を移したという聖火台も今もなお残っています。実は今回の東京オリンピックの聖火リレーのコースにも嘉陽は含まれており、聖火台は最近53年ぶりに補修工事が行われたそうです。

嘉陽小学校(現在は廃校)

かつて聖火ランナーが宿泊したという嘉陽小学校。現在は廃校となり、沖縄美ら島財団が「美ら島自然学校」として管理しています。

五輪のオブジェ

この嘉陽小学校の校庭にも五輪のオブジェが残っています。

石碑に刻まれた「聖火のあとさき」

さらに聖火宿泊碑の道向かいには「聖火のあとさき」という碑が建てられているのですが、ここに刻まれた文章が当時聖火が宿泊したことでいかに嘉陽の人々がお祭り騒ぎだったのかが気されています。

世界を相手に嘉陽が お祭り行事をしたのだから大ごとだ 心の片隅に生えた小さな企てがみるみる 聖火が近づくにつれてふくれ上がり ただならぬ様相を呈しとうとう 村人では手に負えないものとなったが やっとのこと手綱は放さなかった

引用元:聖火のあとさき

「聖火のあとさき」の文章はまだまだ続くのですが、その熱い文章はぜひとも現地に足を運んで確かめてみてください。聖火が嘉陽で宿泊したことにより、嘉陽の集落の後ろの方の森を「オリンピアの森」と呼ぶようになったり、今もなお「聖火宿泊記念駅伝大会」が開催されていたりするのだそうです。

沖縄でオリンピックの跡を探してみよう

これは東京オリンピック記念の封筒と琉球切手。お土産物屋などで販売されていたりする

というわけで、沖縄でのかつての東京オリンピックの熱狂を残した嘉陽の聖火宿泊碑をご紹介しました。他にも聖火のオブジェだったり聖火リレーを記念した琉球切手だったりとかつての東京オリンピックの痕跡はまだまだ沖縄に残っています。名護市嘉陽に足を運んでみるだけなく、他のスポットも探してみると面白いかもしれません。

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