旅館経営のかたわら独学で蕎麦打ちを学んだオーナーが、山里で洗練された江戸前蕎麦を提供。(NICE TOWN)
Yahoo!ライフマガジン編集部
ざる蕎麦にこだわる! 独学で磨いた蕎麦打ちの技
高松市南部、徳島との県境に近い塩江町。山に囲まれた川べりに、小さな温泉郷があります。松岡耕一郎さんは、ここで代々続く旅館の6代目。平成28年、冷たい蕎麦にこだわる本格江戸前蕎麦のお店「蕎麦 はなれ uotora」を旅館の近くにオープンしました。蕎麦打ちは完全独学、「もともと蕎麦好きではなかった」という異色の経歴の持ち主です。
「水回し」ですべてが決まる
「はなれ」の蕎麦はいわゆる江戸前の二八蕎麦で、冷たいメニュー、特にざる蕎麦が一押し。殻をきれいに取った丸抜きの白い蕎麦に、出汁は鰹の厚削りのみを使います。蕎麦粉は茨城県水府産をメインに、今回は松岡さんが「初めて使ってみたけど、香りがよくて気に入った」という、岡山県湯原産を使用。
蕎麦打ちで最も大事なのは「水回し」という、粉に水を含ませて生地をまとめる作業。特に最初の水でほとんど出来が決まると言います。粉の状態や水温、気温、自身の体温など条件は毎日異なり、見極めはまさに職人技の世界。
- 店主 松岡さん
- 店主 松岡さん
- 「最初の水回しで丁寧に粒子を細かくしておかないとだいたい失敗します。一度細かくしてから大きくまとめるんです」
- ライター 戸塚
- ライター 戸塚
- 「粉の手ざわりが重たくなっていく感じが、見ていてもわかりますね」
- 松岡さん
- 松岡さん
- 「あっという間でしょ。10分くらいの作業ですよ」
練り上がった生地はつやつやのすべすべ。それを丸く伸ばしてから、四隅をつくって四角くする「四つ出し」を経て、丁寧に厚みを均一に。
畳んだ生地を細く切る包丁が、心地いいリズムを刻みます。湯気の上がる大きな釜でサッと茹で上げたら、すぐに冷水で締めて完成です。
まずは蕎麦だけいただいてみると、蕎麦粉の香りと甘みがふくよかに広がります。出汁をつけると鰹の風味でキリッと引き締まり、喉ごしがよくていくらでも食べられそう……。
修行ゼロからのスタート。酷評に奮起して猛勉強
「はなれ」の店舗は明治43年に同町内から移築したという古民家。長らく一般住宅として使われていたのをリノベーションする際に天井を開けてみたら、立派な梁が出てきて驚いたそう。現在は古いつくりを活かした姿に戻してあり、落ち着いた雰囲気です。
実は「はなれ」のオープン以前から、松岡さんは蕎麦屋を経営しています。きっかけは約20年前。当時は旅館の跡を継ぐことを考えながら、高松市内で会社員として働いていたそうです。旅館が火災に遭ったことをきっかけに実家に戻り、とりあえず何かしなくてはと、平成12年に今とは別の場所で「行基庵」をオープンしました。
- ライター 戸塚
- ライター 戸塚
- 「もともと蕎麦打ちが趣味だったんですか?」
- 松岡さん
- 松岡さん
- 「いや、ネギも切ったことなかった。そもそも蕎麦があんまり好きでなかったし」
当時提供していたのは、「祖父が家で打っていた田舎蕎麦」の見よう見真似で、出汁の引き方もろくにわからないままスタートしたのだとか。とはいえ温泉郷という土地柄、近くには道の駅や温泉施設があり客足は絶えず、おいしいという人もいたそうです。しかし蕎麦好きや県外客からの評価はさんざん。「こんなの蕎麦じゃない」とまで言われたショックから、猛練習の日々が始まりました。
死に物狂いで練習を重ねながら3年ほど経った時、全国的に知られた蕎麦打ち名人の蕎麦を食べる機会に恵まれた松岡さん。初めての江戸前蕎麦に「全然違う!」と衝撃を受けます。
- 松岡さん
- 松岡さん
- 「しかも、名人は涼しい顔でクールに打つんですよ。僕はそれまで汗だくになってなりふり構わずやるもんやと思ってたから、本当に驚いて、このままではいかんと一念発起しました」
しかし江戸前蕎麦の技を学ぼうにも、修行できるお店は近くになく、当時はネット配信の蕎麦打ち講座などもなかったため、まったくの独学。テキストを読み込みながら、試行錯誤の日々が続きました。今では「ここの蕎麦が一番うまい」と遠方から車で通ってくる常連さんも少なくありません。
- ライター 戸塚
- ライター 戸塚
- 「独学で20年、ついにここまできたわけですね」
- 松岡さん
- 松岡さん
- 「まだ20年やからね。今45歳やし、まだまだ打てる。あと10年で世界一を目指しますよ!」
サイドメニューにも注目!
長らく「行基庵」で田舎蕎麦と江戸前蕎麦の両メニューを展開していましたが、現店舗の完成を機に「はなれ」は江戸前蕎麦、「行基庵」は田舎蕎麦が中心、という個性を打ち出すことにしました。
「はなれ」ではざる蕎麦のほか、ぶっかけスタイルの「冷やしたぬき」も人気です。サイドメニューの天ぷらは海老や季節の野菜をたっぷり使った贅沢な内容で、衣もサクサク!
最後は温かい蕎麦湯をいただいて、ホッと一息。温泉でゆっくり疲れを取って、湯上がりにおいしい蕎麦を楽しむ というのも、贅沢な休日の過ごし方かもしれません。
取材メモ/朗らかで気さくな語り口の松岡さん、蕎麦を打つ時の真剣な横顔からは20年の試行錯誤と苦心がうかがえました。行基庵とは出汁も変えてあり、あちらはうどん文化に慣れた讃岐人好みのイリコベースだとか。姉妹店とはいえそれぞれ違った味わいを楽しめます。
取材・文・撮影=戸塚愛野
NICE TOWN
毎月20日発行、480円
食べる・遊ぶ・買うなど、さまざまなニーズに役立つ、使えるタウン情報誌として愛され続け、2018年に創刊42年を迎えました。若者から年配の方まで、読者が求めるあらゆる情報を、タイムリーに提供しています。