山本益博×河野透×須賀洋介が語る「ロブションが遺したもの」

山本益博×河野透×須賀洋介が語る「ロブションが遺したもの」

2019/09/02

8月5日(月)、料理評論家の山本益博さんが主宰する「Masuhiro Juk -未来への教室-」が開催されました。第1回は、料理人の河野透さんと須賀洋介さんを招き、故ジョエル・ロブション氏について語る会。その座談会の様子をお届けします。

Yahoo!ライフマガジン編集部

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料理人や職人から料理哲学を学ぶ小さな塾「Masuhiro Juk」開校

ロブション氏の知られざるエピソードを聞くために50名ほどが参加。中にはロブション氏のもとで修業したシェフの姿もあった

料理評論家の山本益博さんが主宰する「Masuhiro Juk」は、料理人や職人から料理哲学を学ぶ小さな塾。哲学といっても、高尚な学問というよりは、生活的教養に近く、彼らから、料理に対する情熱、信念、使命感をうかがうもの。優れた同時代人から生きるヒントをいただく「未来への教室」でもあります。

記念すべき第1回は、フランス人シェフの故ジョエル・ロブション氏について語ります。この日は、ロブション氏の命日の前日でもありました。

Vol.1 ジョエル・ロブションが遺したもの

2018年8月6日に亡くなったロブション氏。お葬式の時に使われた写真と同じものが置かれ、座談会がスタートした

ロブション氏は、“世界最高の料理人”と呼ばれたフランス人シェフで、1984年に39歳にしてミシュランの三ツ星を史上最短記録で獲得し、以降、店をクローズするまで13年連続で三ツ星を獲得し続けました。ロブション氏が考案した技法や料理哲学から影響を受けた料理人も少なくありません。

今回、益博さんとロブション氏について語るのは、東京にあるレストランで腕を振るう河野透シェフと須賀洋介シェフ。お二方ともロブション氏のもとでキャリアを積んだ料理人です。

\トークをするのはこちらの方々/

山本益博(やまもとますひろ)

山本益博(やまもとますひろ)

料理評論家

河野透(かわのとおる)

河野透(かわのとおる)

料理人

須賀洋介(すがようすけ)

須賀洋介(すがようすけ)

料理人

ロブション氏のお葬式以来、1年ぶりに再会したという河野シェフと須賀シェフに益博さんを加えた三名でトークがスタート。

山本益博、アンカレッジの空港で偶然ロブションに出会う

冒頭ではロブション氏の経歴がまとめられたDVDが放映され、輝かしい経歴を映像で振り返った

ロブション氏は「まれに見る完璧主義者」と語る益博さんが、初めてロブション氏のお店に行ったのはミシュランガイド(以下、ミシュラン)の二ツ星を取った1984年でした。3年の間に一ツ星、二ツ星、三ツ星と星を取ったシェフは、フランスのミシュランの歴史上初めてのこと。そんなロブション氏と益博さんの出会いはレストランではなかったのです。

益博さん
益博さん
「フランスに行くためにアメリカ・アンカレッジでトランジットしている時に、偶然、空港でロブションさんを見かけて声を掛けたんです。私が何者か聞かれたので、『ツーリストだ』って答えたんですが疑っていましたね。それで、たまたまサイフに入っていた名刺を1枚渡しました」

東京のホテルオークラに行くために空港にいたというロブション氏。二人が会話をしたのは3分ほどだったそうです。

益博さん
益博さん
「実は、別れ際に『私は来週あなたのお店を予約しています』と伝えたんです。翌週、予告通りロブションさんのお店に行ったら、支配人が『山本さんのテーブルにシャンパンをお出しするようにと東京のロブションさんから電話がありました』とおっしゃったんですね。きっと東京で山本益博が何者なのか、聞いたんでしょうね。ちょうどそのタイミングで、ミシュランから三ツ星になったと連絡がきて、ロブションさんはフランスに戻りました」

お店で会ったわけでも、三ツ星を取ってから訪ねて行ったわけでもない日本人だったので、ロブション氏の印象に残ったのだろうと振り返った益博さん。以来、お客さんとシェフという間柄で交流を続けたそうです。
そして益博さんは、そのロブション氏をきっかけに二人のシェフに出会います。

「生き地獄だった…」河野透シェフとロブションの出会い

河野シェフが現在オーナーシェフを務める「モナリザ」のプロモーション動画には、東京・広尾の「レストランひらまつ」の料理長に就任した当時の河野透シェフとロブション氏が写る写真も登場
益博さん
益博さん
「河野さんはなぜロブションさんのお店で働こうと思ったのですか?」
河野シェフ
河野シェフ
「大阪の洋食屋さんで5年ほど修業した後、渡仏して1年ほど働いた頃に、ボスに次はどこで働きたいか聞かれたんですね。そこで、1年目で一ツ星、2年目で二ツ星、3年目で三ツ星になったお店があると聞いて、そこでもいいかなと思って『ジャマンに行きたいです』と言いました。その3カ月後に行くことが決まって。面接に行ったら優しいおじさんが出てきて、優しそうな人で良かったと思って入社したら、生き地獄でした(笑)」
益博さん
益博さん
「とんでもなかったということですか?」
河野シェフ
河野シェフ
「はい(笑)。僕は基本的にどこで働いてもオーナーとか料理長が怖いと思ったことがないんですけど、『ジャマン』では料理人全員の手足が震えていたほど、すごく厳しい方でした。朝7時前に出勤して、休憩は言われないし、昼は従業員のランチを作るのに、仕込みが終わる前にご飯を食べると、『おまえ、うちにまかないを食べに来たのか?』と言われてね(笑)」

フランスでの思い出をユーモラスに語ってくれた河野シェフでしたが、そこは想像以上に厳しい環境だったそうです。

ロブションさんは完璧主義だった

河野シェフ
河野シェフ
「ロブションさんに料理をチェックしてもらう時は順番にお皿を提出するんですけど、少しでも気に入らないと『はい、やり直し』と言いながらお皿を突き返されて…。完璧主義だったんですね。だからこそ、お皿を突き返されなかった時は本当にうれしくて」
益博さん
益博さん
「私ね、河野さんが『ジャマン』で働いてる時に横で見させてもらったことがあって。少しでも私語を交わしたり、新入りにやり方を教えてあげるだけでも、『言葉はいらない!』って怒っていましたね」
河野シェフ
河野シェフ
「ロブションさんが怒っているのは芝居だったと言われていました。怒ってもその後に必ず肩をポンポンとたたいてフォローしてたんです。そうされるとなぜか怒られたことがスーッと抜けていって、また明日も頑張ろうって気持ちになるんです」
益博さん
益博さん
まるで百獣の王の猛獣使いのようだなと思ってましたよ(笑)」
河野シェフ
河野シェフ
厳しいんだけど、みんなが付いて行きたくなる。これが、ロブションさんが世界で成功した理由なんだと思います」

生き地獄だったという河野シェフですが、気づいたら2年半も「ジャマン」で働いていたそうで…。

河野シェフ
河野シェフ
「最初のうちは、地獄だからすぐ辞めようと思ってたんです。でもさすがに紹介してくれた人に申し訳ないので、3カ月続ければ恩返しできるかなと思って頑張りました。3カ月目に入って3カ月経ったなと思って、あと1カ月、2カ月…と思ってたら1年経って。それからどうにか2年半頑張れました」
「ジャマン」でキャリアを積んだ後、スイスの三ツ星レストラン「フレディ・ジラルテ」で働いた河野シェフ

口グセは「出て行け!扉はいつも開いている!」

河野シェフ
河野シェフ
「失敗するとすぐ『出て行け!』って言うから出て行くじゃないですか。でも次の日には新しい人が来てて(笑)。ロブションさんの口グセは『出て行け!扉はいつも開いている!』だったけど、実際の扉は開いてないんですよ(笑)」

ロブション氏のかわいらしささえも感じられるエピソードですが、調理場ではちょっと笑える珍事件も起きたそうで…。

河野シェフ
河野シェフ
「早く仕事が終わった日に限って、食材が残っていないか確認するための冷蔵庫の点検があったんですよ。残っていると怒られるからね。ある日、冷蔵庫の中に残っていた食材を丸々一羽の鶏の中に隠した人がいたんです。何も知らないロブションさんは、休みの日にその鶏を自宅に持って帰ってローストチキンを作ったそうで…」
益博さん
益博さん
「バレちゃったんだ」
河野シェフ
河野シェフ
「後日、『鶏の中に野菜を入れておいてくれたヤツがいる』と言って、褒められていましたけど(笑)。ロブションさんには隠し事一つできませんでした」
益博さん
益博さん
「ロブションさんはお客さんが料理を残すことに対しても厳しかったね。シトロネル(香草)が残っているお皿を見て『なんで残した!』って怒ってね。お客さんはシトロネルがお嫌いだと言ってたとサービスが伝えると、『メニューに書いてあるー!』と言いながら怒って。とにかくお客さんが料理を残すことが大嫌いでしたね」
河野シェフ
河野シェフ
「あとね、朝出勤したら普通は挨拶をするじゃないですか。でもロブションさんは挨拶をしない人で、来るやいなや、シェフが検品した食材のチェックをしてダメ出しをしていました。僕は『ボンジュール』なんて絶対に言わない人だと知ってたから、東京でレストランを始める時に、ロブションさんが来たら大きな声で挨拶をするようスタッフ全員に言ったんです。そしてロブションさんが来た時に、『ボンジュール、シェフ!』と言ったら、スタッフたちに『ボンジュール』と返してくれて…もう大成功ですよ!」

生き地獄から無事に帰還した河野シェフは、ロブション氏をコントロールできるほどたくましくなっていたのでした。

「実業家としての顔を見せてもらった」須賀洋介シェフとロブションの出会い

フランスでは料理人としてではなく、運営の仕方を中心に勉強したという須賀シェフ(写真左)
益博さん
益博さん
「須賀さんがロブションさんのもとで勉強しようと思ったきっかけは?」
須賀シェフ
須賀シェフ
「もともと東京のホテルなどで修業していましたが、たまたまロブションさんをご紹介いただく機会があって。フランス料理の料理人をめざす人たちからすると、伝説の人でしたらからね。そんなロブションさんと一緒に働ける機会をいただけたことがうれしくて、すぐパリに行きました。それが、フランスW杯があった1998年、21歳でした。仕事場がレストランではないという点にも興味をそそられましたね」
益博さん
益博さん
「須賀さんがパリにいた時代のロブションさんはどんな印象でしたか?」
須賀シェフ
須賀シェフ
「実業家としての顔を見せてもらいました。厳しい人でしたけど、サービスの時のテンションではありませんでした。仕事はテレビ番組の収録とコンサルだけで、スタッフは3人しかいなかったので、めちゃくちゃ近くにいられました」
益博さん
益博さん
「優しいおじさんだったんだね(笑)」
須賀シェフ
須賀シェフ
「でも、『ラトリエ』がオープンする時には再びサービスが始まったので、また違う側面が見えてきましたね。多くのスタッフを従えているのがロブションさんのレストランだと思うんですけど、下の子たちには基本的に話しかけませんでした」

レストランを閉めた後、ラボを設立

益博さん
益博さん
「ラボではどんなことをしていたんですか?」
須賀シェフ
須賀シェフ
「ラボは真空のような状態の研究所でした。サービスの厳しさはないけど、とにかくその空間を保つための作業を一日中しているだけというか。2日に1回は天井を掃除していましたし、魚をさばいたら下を流して、肉を焼いたら下を流して…みたいな、とにかく完璧に保つための空間作業をずっとしていました」
益博さん
益博さん
「お客さんのいないところで仕事をしていて、レストランで働きたいなと思いませんでしたか?」
須賀シェフ
須賀シェフ
「有名シェフがゲストでいらっしゃるテレビ番組の収録が毎週あったんですけど、そこのシェフをロブションさんが紹介してくれて、ラボの仕事が終わった後はそのシェフのお店に行ってアルバイトをしていました」

世界初のカウンター式のフレンチレストランがオープン

益博さん
益博さん
「須賀さんは『ラトリエ』の立ち上げにも携わっていましたね。最初にパリのお店がオープンする予定でしたが工事が遅れて、六本木ヒルズの『ラトリエ』が世界初のカウンター式のフレンチレストランとしてオープン。そこの料理長を任されていましたね」
須賀シェフ
須賀シェフ
「とにかく大変なオープンでしたね。メニューが決まったのはオープンの3日前。当日は朝7時から長蛇の列ができて…。オープンして最初に来たオーダーが日本語だったんですね。日本語でメニューを書いていましたらから。するとロブションさんが『なんで日本語なんだ?』って怒ってね。そこからフランス語のメニューに変えたり、開店直後に全席にお客さんを座らせるというナンセンスな運営をしたり、とにかくカオスでしたよ(笑)」
益博さん
益博さん
「でもね、河野さんが先ほどおっしゃっていたアメとムチではないですけど、ロブションさんは帰り際にスタッフ全員の頭をなでながら『よくやった、よくやった』って声をかけていたんです。ロブションさんに頭をなでられて『よくやった』って言ってもらえたら、また明日も頑張ろうかなって思えますよね。働いている方はどうでしたか?」
須賀シェフ
須賀シェフ
「僕にとって大きな試練でした。シェフをしたことがない状態で料理長を任されたので。とにかくレストランで経験しうることはその3年間で全て経験しました」

その後、須賀シェフはラスベガス、ニューヨーク、台湾、パリで新店舗の立ち上げから総料理長を務め、ロブション氏とともに世界を渡り歩いたそうです。

ロブションのメニューへの強いこだわり

「ジャマン」で使用されていたメニュー。益博さんがロブション氏本人から聞いた、この絵のコンセプトについて紹介してくれた
益博さん
益博さん
「『ジャマン』のメニューは、表にお店の名前だけが書かれてあって、中はこんな感じです。丘の上に佇んでいる自分の化身が見つめている先に教会があるんですね。神父さんになりたかったという思いが込められているのだとか。夕日が落ちようとしてて、月が上の方に登っているんだそうです。化身が持っている杖(つえ)は仕込みの剣。自分の仕込みの邪魔をする者に対して剣で立ち向かっていくという意味があるそうです。ずいぶんとロマンチックな人だなと思いましたね」
二ツ星レストラン「レ・セレブリテ」のメニュー。ロブション氏はここの料理ディレクターをしていたのだとか
益博さん
益博さん
「こちらは『レ・セレブリテ』のメニュー。二ツ星を取った時にここを訪れましたが、ロブションさんが料理ディレクターをしていることは後から知りました」
須賀シェフ
須賀シェフ
メニューの文字のフォントを選んでいるのはロブションさんなんですよ。行間とか同じ食材が出てこないか、同じ表現をしていないかとか、とても細かいことにこだわっていて、彼の性格がメニューにそのまま描かれていますよね。メニューって不思議なもので、シェフの性格とかそのレストランが表現したいものがもろに現れるので、いろいろなレストランに行って見比べるとおもしろいですよ」
ロブション氏はメニューに強いこだわりを持っていただけに、次から次とエピソードが飛び出す
益博さん
益博さん
「先頭に食材の名前がきて、その後にどのように調理したかが書かれているのがロブションさんのスタイル。でも、お弟子さんのフレデリック・アントンらの影響を受けて1997年頃にメニュー表記を変えはじめましたね」
河野シェフ
河野シェフ
「昔はメニューすら変えない人でしたが、少しずつ変わり始めましたね」
益博さん
益博さん
「ロブションさんはお弟子さんからアイデアをもらったことは絶対になかったと思いますけど、唯一メニューの表記だけはフレデリック・アントンが考えたやり方に納得して書くようになったなと。人に伝えることはあっても、人から何かをもらうことはなかなかしなかった人でしたよね」

ロブションと日本の深いつながり

話題は、ロブション氏と深いつながりがある日本や日本人の話へ
益博さん
益博さん
「ロブションさんは、料理人として働き始めてから19のコンクールに出て金賞が17、銀賞を2つ受賞していますね」
河野シェフ
河野シェフ
その裏方をやっていたのは日本人です。レストラン『KIHACHI』の熊谷喜八さんとかね。やっぱり包丁が切れるからね」
益博さん
益博さん
「比較的早くから日本人の実力に気づいていたのかなと思いますね。ところで、なぜ、調理場から一切出なかったロブションさんが、カウンタータイプのレストランを作ろうと思ったのでしょうか?」
須賀シェフ
須賀シェフ
「僕が思うに、本質的には人が好きだったんでしょうね。レストランでは中に隠れていた方が…という気持ちは少なからずあったと思います。『ラトリエ』時代には、『ストレスなく楽しくみんなで仕事をするんだ』とおっしゃっていました。ロブションさんと仕事していてそんなことは絶対にありえないんですけどね(笑)。やっぱり求めることは細かいので…」
河野シェフ
河野シェフ
「でも、ロブションさんが『ラトリエ』を好きなんだろうなというのは、外から見ててもわかりましたね。今日どこにいるか聞くと、いつも『ラトリエ』でしたから。だから、先ほど須賀さんがおっしゃっていたように、人と接することが好きなんだなと思っていました」

ロブションさんが日本を気に入った理由とは

益博さん
益博さん
「日本に何十回も来ているうちに日本というのがだんだんわかってきて、それにならっていくなら『ラトリエ』のタイプでやるのがいいかなって思ったんでしょうね。でも、なぜロブションさんはここまで日本を気に入っていたのでしょうか?」
須賀シェフ
須賀シェフ
「ロブションさんと一緒に世界各国で仕事をさせていただいて感じたのは、日本はモラルが高いというのが頭の中にあったんだと思います。例えば、調理場での作業にしてもお掃除にしても、細かいことがすごく気になるのが日本人気質。クオリティーの高い仕事をするなら日本の方がしやすいと思ったのかもしれません」
河野シェフ
河野シェフ
「日本の料理人は真面目で一生懸命やるし器用だし、魚をさばくのも肉を焼くのも上手だし、仕事が丁寧で几帳面(きちょうめん)なんです。ロブションさんが好きだったのは整理整頓でしたけど、日本人はそういうのも得意じゃないですか。それから、お客さんのことを考えると、日本人は美食家。今、世界の中で最も美食家なのは日本人だと思います」
益博さん
益博さん
「ロブションさんは30年前からそうおっしゃっていましたね」
河野シェフ
河野シェフ
「食材も気に入られていたのだと思いますし、日本人の気質、性格、いろんな面をみてもフランスよりも日本の方が好きだったのかなと思いますね」
益博さん
益博さん
「でも、日本人には欠点もあると内緒で教えてくれたことがあって。亡くなったからって言うんじゃねーよと怒られそうですが(笑)、オリジナリティーかなと言ってましたね」

ロブションさんが遺してくれたもの

益博さん
益博さん
「お二人がロブションさんから受け継いだり、影響を受けたことはなんでしょうか?」
河野シェフ
河野シェフ
『なんでも先取りしなさい』と言われたことがあります。『自分が新しいものを考えて進んで行くと自分がトップになれるよ』と。それから、料理を作る時は、『食材を3つ以上組み合わせるな』ということも」
須賀シェフ
須賀シェフ
「料理の技術というよりは、細かさですね。最大限の時間を使って淡々とこなす努力をしなければならないというのを、ロブションさんは自分自身にもみんなにも求めてきました。僕は今でもそれを心掛けながら作業をしています」
益博さん
益博さん
「20世紀はフランス料理が天下を取っていましたが、21世紀にスペインで革命が起きて、スペインのレストラン『エル・ブリ』で勉強したシェフが世界各地で活躍していますね。今、フランス料理は苦境の時代ですが、もう一度主導権を握る時代は来ると思いますか?」
河野シェフ
河野シェフ
「僕らの時代と須賀さんの時代も全然違うし、今もまた変わっているし、ロブションさんの教えは常に進化していると思います。ただ、日本で働き方改革が始まり労働時間が限られてきて、今われわれがやっている料理がいつまで続けられるのか考えたら、あと3年か5年で終わるんじゃないかなという不安もあります」
須賀シェフ
須賀シェフ
「ロブションという人は、時代にも恵まれていたんじゃないでしょうか。フランス料理が失速したのは、プレゼンテーションとオリジナリティーがすごく注視されたことが原因だと思っていますが、最近また、食材など土着的なものにフォーカスされるようになってきました。フランスも食材に恵まれているので、今後フランス料理の本質を見失わないで表現できるシェフたちが現れたら、再びディスティネーションがフランスになるんじゃないでしょうか」

フランス料理は想像以上に手間暇かかる

益博さん
益博さん
「実際に、お二人が今作っているものはフランス料理だという気持ちで作っていらっしゃいますか?」
河野シェフ
河野シェフ
ビヤン・シュール!(フランス語で『もちろんです』という意味)」
須賀シェフ
須賀シェフ
「僕はまるっきりないですね(笑)」
河野シェフ
河野シェフ
「でもやっぱりフランス料理はおいしい。ただし、手間暇かかる」
須賀シェフ
須賀シェフ
「僕の実家はフランス料理屋ですし、ベースにあるのはもちろんフランス料理ですが、フランス料理だけ作ろうということにはこだわっていません。フランス料理っぽいものもあれば、日本料理っぽいほうがおいしい食材かなと思ったらそうしますし。ロブションさんのお店を辞めた時に、『師匠の料理をそのままやってるんだね』と言われないためにはどうしたらいいかを考えました。だからフランス料理にこだわらずに、自分の食べたいものを作れたらいいかなと思っています」
益博さん
益博さん
「フランス料理と思って作ることも大事だと思いますし、料理はアマファッソン(フランス語で『自己流』という意味)が大事だという時代でもあります。フランス料理が天下を取るためにも、ロブションさんのことを1年に1回は思い出して、彼が遺してくれたものを振り返ってみることが大切なのではないでしょうか。というわけで、結論は出ないんですけども、ロブションさんが日本に遺していってくれたものはとても大きいことは確かですね」
河野シェフ
河野シェフ
「ロブションさんがいなくなっても『シャトー』は続いていますし、いろんなところでお弟子さんたちがクオリティーを保ってくれていますよね。それが続けばいいなと思っています」
須賀シェフ
須賀シェフ
「技術的なことよりは、レストランを営むうえで大切なことを後代に伝えていきたいです。僕も言葉で褒めることはあまり得意ではないので、態度とか行動で伝わればいいなと思っています」
益博さん
益博さん
「というわけで、ロブションさんの生き地獄から帰ってきた、本当にいい意味で薫陶を受けた方々なんですけども、ロブションさんが遺していってくれたものをこれからも引き続き、お客さんに広めていっていただけたらと思います」

食材への愛情、メニューへのこだわり、物事に対する細かさ、日本に対する思い…ロブション氏が遺していったものはあまりにもたくさんあることがわかりました。「ラトリエ」や「シャトー」はもちろん、河野シェフの「モナリザ」や須賀シェフの「SUGALABO」に行って、ロブション氏に触れてみるのもいいかもしれませんね。

第2回は11月6日(水)に開催!

「いまだ、鮨の夢を見る」と題して、「すきやばし次郎」の料理人・小野二郎さんから料理哲学を学びます。

取材・文・撮影=シーアール

この記事を書いたライター情報

Yahoo!ライフマガジン編集部

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グルメ、おでかけ、イベントなど、ライフスタイルを豊かにする情報を編集部が厳選して紹介します。

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