450年の歴史を守りつつ、新商品の開発に挑む群馬の老舗糀蔵

2019/08/26

450年の歴史を守りつつ、新商品の開発に挑む群馬の老舗糀蔵

室町時代の永禄(1566)年に元紺屋町で創業し、糀や糀加工品、味噌の製造・販売業を営む株式会社糀屋(こおじや)。昔ながらの伝統を守りつつ、時代に合わせた新商品の開発に挑む、老舗の糀蔵と店舗を訪ねた。

中広

中広

新田氏に随行した先祖が高崎に定住して創業

いにしえの時代より、日本人の食文化を支えてきた微生物の一種である糀(こうじ)。味噌や醤油、清酒、鰹節などの発酵食品に欠かせない存在だ。近年、万能調味料として流行した塩糀や、健康と美容に効果的だと脚光を浴びた甘酒などの原料としても知られている。

「私どもの祖先が糀の加工を生業としたのは、900年以上前の1100年頃だと伝え聞いています」

穏やかな口調で話すのは、高崎市で室町時代から続く糀屋の22代目当主、飯嶋藤平(とうべい)さんだ。当主は代々藤平を襲名しているため、先代が亡くなった13年前、戸籍を変更。昔ながらの糀作りを継承しつつ、顧客の要望に合わせた新商品の開発に励んでいる。

戦国時代、米や塩と並ぶ戦陣食として武将たちに重宝された味噌。保存が利き、携帯しやすい日本古来の調味料は栄養価も高く、兵士の貴重なタンパク源でもあった。信濃国(現長野県)遠征に備えて、武田信玄が農民たちに作らせた信州味噌をはじめ、伊達正宗、徳川家康など、戦国武将の多くは、地元で味噌造りを推奨したという。

信濃国で味噌造りを始めた飯嶋さんの先祖が高崎に移り住んだのは、約650年前。1352年に起こった武蔵野合戦の際、新田氏の武蔵国出陣にあたり、味噌職人として飯嶋さんの先祖が随行した。戦の後、新田軍の引き上げと共に、和田宿(現高崎市)に定住。その子孫であり、箕輪城城主・長野業政(なりまさ)のもとで穀物番を務めていた飯嶋喜太夫が、永禄9(1566)年に糀屋を創業した。

江戸時代になると、初代高崎藩藩主・井伊直政に味噌を献上していた糀屋は、米を糀で発酵させた甘酒作りを開始。地元の人々だけでなく、旅人からも人気を集めた。

飯嶋藤平さん

飯嶋藤平さん

株式会社糀屋 22代目当主

江戸時代の庶民が夏バテ予防のために、暑い時期に好んで飲んでいたところから夏の季語となった甘酒は、消化も良く栄養抜群。京都へ向けて中山道を歩く旅人が、峠越えに備えて体力を温存できたのは、先祖の作った甘酒の効果かもしれませんと、遠い昔に思いを馳せる。

糀は体に良いが、加工しなければ食べられない。だからこそ職人の技術を生かして人々に尽くしたいと、代々の当主たちは常に新しい商品を生み出してきたのである。

糀屋の店頭で扱っている多彩な商品。トマト糀やドレッシングなど、洋風のオリジナル商品も充実している

地元の人々への感謝を胸に喜ばれる商品作りを目指す

厳選した秋田県産のあきたこまちを使って作られる、同社の糀。昔ながらの手作業で行うため、1日の製造量は300キログラム程度が限界だ。

櫻井貴浩さん

櫻井貴浩さん

株式会社糀屋 工場長

米の表面に白い花が咲くように伸びる、菌糸の状態を目で確かめ、手のひらで感じる温度を頼りに室温や湿度を調整するのだと教えてくれた。季節や天候によって適正な温度が変わるため、毎日気を抜けないと笑う。

「糀菌がうまく付着していない米は固まり、良い糀にならないので、1粒ずつ取り除いています」と従業員の宮本譲稔(まさとし)さんは話す。米粒をつぶさぬよう、丁寧に手で返す作業が、甘みとうま味の強い糀づくりに欠かないと、額の汗を拭った。

糀菌をつけた米の上下を返す、手入れという作業を行う宮本さん。蒸米を空気に触れさせながら、糀菌の成長を促す
昔ながらの製法で作った糀屋の糀

一方、当主を襲名後、調味料や漬物、甘酒など、オリジナル商品の開発に尽力してきた飯嶋さん。なかでも思い入れの強い商品が、自らの名をラベルに刻んだ、糀屋藤平甘酒だ。

「新しい甘酒を作るにあたって参考にしたのは、蔵から探し出した江戸時代のレシピです」。米粒の食感を残し、納得のいく色合いや風味を落とさずに滅菌処理を行うのは困難を極めたが、100人以上の顧客に試飲してもらいながら何度も試作。3年の月日を費やし、2017年2月にようやく完成した。冷やして飲んでもおいしい甘酒はたちまち評判となり、今では同社を代表するヒット商品となったのである。

米粒の食感とやさしい甘さが楽しめる糀屋藤平甘酒。ラベルに使われているのは、高崎えびす講市で甘酒を振る舞っていた大正時代の写真

また、地域貢献を目的に、先代の頃から始めたのが、親子で一緒に参加できる手造り味噌教室だ。下準備の大変な味噌造りが気軽に体験できると共に、食育にもひと役かっている。「自分で造った味噌のおいしさを、子どもたちに伝えられたらうれしいですね」。

同じ土地で450年、商売を続けてこられたのは地元の人々のおかげだと、感謝の言葉を口にする飯嶋さん。これからも、多くの人から喜ばれる仕事をしたい。それが、老舗の技を未来へ継ぐ者の使命だ。

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