「日本の灯台50選」に選ばれた三重県志摩市の白亜の守り神

2019/09/07

「日本の灯台50選」に選ばれた三重県志摩市の白亜の守り神

海行く船にサインを送り、航路の安全を守る灯台。明治元年(一八六八)に日本で灯台の建設が始まって百五十年となる2018年、第一回の「灯台ワールドサミット」が志摩市で行われた。自然景観を生かした観光資源として、身近にある灯台について考えてみよう。

中広

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日本で初めて設置された回転式フレネルレンズ

四方を海に囲まれた日本で、灯台の数は三千を超える。中でも、登って見学できる参観灯台は全国に十六カ所。うち二つが志摩市にある安乗埼灯台大王埼灯台だ。どちらも岬の先端にあり、登ればパノラマの景色を堪能できる。共に「日本の灯台50選」に選出。人工的な建物ではあるが、自然に溶け合って海辺の風景を演出し、地域のシンボルとして親しまれている。

観光マップで志摩市の灯台の位置関係が一目でわかる

灯台は夜の航路の目印となるが、昼間の目印がすでに奈良時代に存在していた。河川や沿岸の水路に「水尾津串(みおつくし、後に澪標)」と呼ばれる木柱を立て、障害物を示した。そして航海術が発達し、遠くへ出掛けるようになると、岬や島の上に塔を建て、たき火をしたり、煙を上げたりして船の目標とした。これが灯台の原点とされている。

現在の形に近い近代灯台のはじまりは、明治時代。イギリスやフランスから招かれた技師が灯台を設計した。西洋の文化を取り入れた構造物としても魅力があり、デザインもさまざま。日本には丸型の灯台が多いが、四角形をした珍しい灯台が安乗岬園地の先端に佇んでいる。

的矢湾の入口に建つ四角形の安乗埼灯台。波が静かな湾内と荒々しい熊野灘の様子を同時に見ることができる

明治六年(一八七三)、海の難所として知られていた岬に安乗埼灯台が建てられ、日本で初めて回転式フレネルレンズが使用された。このレンズはフランス人の物理学者が発明したもので、大きなレンズがゆっくりと回り、小さな光を遠くまで効率よく届かせるように設計されている。その後、海蝕等による地盤の崩れにより後方へ移転し、昭和二十三年に、現在の四角形の鉄筋コンクリート造りに建て替えられた。初代の灯台は、八角形の木造。「船の科学館(東京都品川区)」で保存されていて、安乗岬園地の資料館には、ミニチュアが展示されている。

資料館に設置されたミニチュア。八角形の初期灯台は「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計による総ケヤキ造りの木造灯台。その他、灯台守の官舎があった頃の図面や明治年間の書簡なども展示

忘れてはならないのが、灯台の保守・管理を行ってきた灯台守の存在だ。自動点灯化される前は、毎日の見張り役がいた。そんな灯台守の生活を映画化した「喜びも悲しみも幾歳月」が、昭和三十二年の公開当時にヒット作となり、映画の舞台となった安乗崎も話題となった。撮影当時の写真が灯台入り口に展示され、当時を知る人が主題歌を口ずさむ場面にも出くわす。

また、この地で四百年以上にわたり伝承されている「安乗文楽」も、海との関わりを持つ。秀吉の時代に許されたとされる人形芝居で、安乗沖での海上安全を祈ったのがはじまりと推測されている。

近隣の観光と合わせて灯台の景色を楽しむ

大王埼灯台は、海岸段丘の景勝地に佇む灯台で、その周辺は古くから沿岸航路の要衝であった。灯台が立つ高台は城山(じょうやま)と呼ばれ、戦国時代に九鬼一族が波切城を築いたところ。遠州灘と熊野灘の境目にあたる海の難所として知られ、海域には険礁、暗岩が散在した。「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい」と詠われるほど、難破する船は後を絶たなかったという。大正二年、さんま漁船が遭難し、五十一人が命を落とした。また大正六年には、三千トンの巡洋艦「音羽」が大王岩で座礁した。

大王埼灯台は赤と白の光が交互に出る「単閃白赤互光」。およそ30キロ先までその明かりが届く
踊り場のステンドグラスも必見!

それらの海難事故を機に、昭和二年に鉄筋コンクリートの灯台が完成。らせん階段を登った見張り台から眺めると、目前に広がる地平線が弧を描き、地球が丸いことを実感できる。

灯台に隣接する資料展示室は、平成二十二年に開設。灯台の歴史や役割、仕組みについて詳しく説明され、模型や実物レンズ、クイズなどにより、わかりやすく紹介している。また志摩市の麦埼灯台、御座埼灯台、浜島港灯台を岬とともに地図で案内するなど、見応えのある展示となっている。

資料展示室2階では灯台の仕組みや歴史をわかりやすく紹介。灯台は目立つため、戦時中には機銃掃射の対象となり、1階に展示される建設当時のレンズに痕跡が残されている
資料館に展示されている第4等閃光レンズと水銀槽式回転機械。昭和25年から平成17年まで使用されていた

「灯台に登って三百六十度の景色を見るのもいいけど、離れて眺めるのもいいいんです。大王埼灯台なら八幡さん公園からがおすすめです」と志摩市役所観光商工課の大田隆英さん。周辺の観光と合わせて訪れてほしいと話す。

志摩市大王町は、灯台や石畳の坂道などの景色をモチーフに、絵描きが集まる風光明媚なエリアだ。漁村の集落の先に続く土産物屋の通りは郷愁をそそり、また須場の浜から歩けば、古い石段と石積みに石工の素晴らしい技術を目の当たりにする。

百五十年の歴史を紡ぎ地域資源としての魅力も

灯台は海上保安庁が機能を管理し、参観については燈光会が運営する。点灯の自動化や、GPSの発達、老朽化などの理由により取り壊されるところもあるが、灯台がつないできた歴史とともに、観光的な要素として残していこうとするムードがある。

明治元年に西洋式灯台の建設が始まってから、2018年で百五十年。その記念として、志摩市をはじめ四つの自治体が発起人となって、2018年に「灯台ワールドサミット」が開催された。

「菅島灯台(鳥羽市)は日本最古のれんが造灯台で、渡鹿野島の瓦屋であった竹内仙太郎が焼いたれんがが使われています。そんな地域資源のとしての話もしました」と同じく観光商工課の原与世さん。

灯台の魅力を聞き、ふるさとの資源を改めて考え、次の世代に引き継いでいきたい。

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