地域に愛され90年以上!変わらぬ味が心つかむ宮城の大石パン店

地域に愛され90年以上!変わらぬ味が心つかむ宮城の大石パン店

2019/11/13

90年以上にわたり地域に寄り添っている大崎市の大石パン店。地元の人たちの中には学生時代にお世話になった人も多いはず。変わらない味のパンは、長年のファンから子どもたちまで多くの人を笑顔にし続けている。創業当時のエピソードを交えながら、地域とともに歩んできたその歴史をひも解いていく。

中広

中広

始まりは農家

同店の創業者である高橋太加治さんは、新潟県の大きな米農家に生まれた。しかし、家業を継がずに家を飛び出し、栃木県宇都宮市でせんべい店を開業したという。その後、移転先を求めて陸羽東線で山形県新庄市まで行く途中、古川で途中下車。学生が多く、にぎわっていたため、「ここで商売をすれば成功する」と確信して根を下ろした。

古川駅前に店を借りた当初はパンではなく、煎餅や和菓子を販売する大石菓子店だった。そんな中で、「何か新しいものを作りたい」と当時、帝国ホテルに勤めていた親族に相談して勧められたのがパン作り。今につながるパン店としての歩みは、ここから始まった。この頃は食パン、コッペパンがメインで、親族から作り方を教わり、自作の焼き窯で焼いた。当時はイースト菌ではなく、米から作られる酒種酵母を使っていたため、パンの発酵が安定せず夜中に何度も起きて状態を確認するなど、かなり手間のかかるものだった。

コッペパンはその場でクリームを塗ってくれる

一方、パンは当時かなり珍しい食べ物で、売れ行きはいまいち。古川にある教会の宣教師には売れたが、売り切るために遠くまで売り歩くのもしばしばあった。店ではパンよりも和菓子が売れており、各地で仕事をする渡り職人と呼ばれる人たちが、店を手伝ってくれていたという。地元の若者も雇用し、和菓子とパンの二足のわらじで生計を立てていた。

第二次世界大戦が勃発すると、原料となる砂糖などは統制され、自由に手に入らなくなった。戦中は国の政策によって地域の菓子店が集められ、配給される素材でかりんとうや飴などの菓子作りをしていたという。

戦後、アイスキャンディを売り出そうと機械を買うために資金を貯めていたものの、ひょんなことからそれが新店舗を建てるための土地購入資金となり、現在の場所に店を開いた。ただ、パンはまだ市民権を得るほどではなかったため、オート三輪を購入して、さまざまな場所に足を運んでは自慢の味を売り込んだ。

大石パン店外観

本格的なパン店に

戦後しばらくすると、日本人の食生活の欧米化が進んできた。パン食が普及し始め、同店ではこれまでの和菓子を縮小し、パンに力を注ぐようになっていく。大石菓子店が大石パン店になった歴史の節目だ。酒種からイースト菌にシフトしたため品質は安定し、クリームパン、あんぱん、ジャムパンなど新商品を次々に投入。売れ行きは良くなったものの、大手パンメーカーの進出が始まり、すぐに競争は激化したという。

なつかしさあふれる変わらないレパートリーも魅力
辛くないから子どもたちに大人気!カレーパン 
チョココロネ(冬季限定)
レモンパン(夏季限定)

昭和29年の学校給食スタートにより、地域ではパン店が一気に増加。同店では市内の小学校にパンを出すようになると、「中学校の売店でもパンを売りたい」という話が舞い込んだ。「なるべく安くて大きいものを」という注文に応え、現在でも根強い人気を誇るブドウパンが誕生。親族に相談して型枠を手に入れ完成させたパンは、古川中学校での販売を皮切りに、瞬く間に市内の中学校に広がっていった。同時に高校でも評判となり、売店に置いた。当時の値段は15円ほどだったという。

学校給食でパンをほおばる子どもたち

学校の売店などでおなじみ

クリームサンド
ピーナツサンド
チョコサンド

安さとボリュームを理由に学生の間で親しまれていった同店のブドウパン。実は、パンを作るときに出る余った生地を使って費用を浮かせ、ボリュームと安さを両立したのだ。予想以上の人気に「もっと欲しい」との要望は多かったけれど、元々が余った材料で作ったパンだけに大量生産には不向き。利益はほとんどない状態ながら学生を思って作り続けていたが、さすがに赤字を出すわけにもいかず、悩んだという。

歴史を継承して

同店は2代目の岩蔵さんを経て、大学卒業直前に3代目となる俊郎さんが継ぐことを決意。俊郎さんは当初サラリーマンになる予定だったが、「継がないならば店を閉める」という話になり、決断した。大学卒業後に専門学校に通ってケーキ作りの技術を学ぶと、その後は洋菓子店で3年ほど修行する予定だった。しかし岩蔵さんが体調を崩したため1年で店に戻り、切り盛りするようになった。当時はパンとケーキを作っていたが、東日本大震災をきっかけにパン専門店となり、現在に至っている。

大石パン店 三代目店主・高橋俊郎さん

だが、これまで培ってきた洋菓子、和菓子の技術はパン作りにも生かされており、アップルタルトなどの人気メニューも多数ある。定期的に訪れるという色麻町の50代男性は「高校は古川に通っていて、この店のパンをよく食べていた。懐かしくて忘れられない食感。思い出の味です」と話す。青春時代をともに歩んだその味は、もはやかけがえのない思い出の一部となっているのだ。

変わらない味で幅広い世代に愛されている

現在は4代目となる純さんに技術と歴史が受け継がれており、俊郎さんは「これからも幅広い年代に愛されるパン作りにまい進したい。家族団らんの中心にパンを置き、その味を楽しんでほしい」と情熱を傾けている。

もうすぐ100年の節目が訪れる。昭和、平成と駆け抜けてきた大石パン店の味は、これからも変わらぬ魅力で令和にも息づいていくだろう。

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中広は岐阜に本社を置く広告会社です。 地元の情報を各戸配布のハッピーメディア(R)『地域みっちゃく生活情報誌(R)』のブランドで発信しています。

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