愛知で千年の歴史ある寺・瑠璃光山 医王寺

愛知で千年の歴史ある寺・瑠璃光山 医王寺

2020/02/14

市名の「みよし」は、当地に庵を結んだ僧、行観自達坊の出身地が由来とも伝わる。托鉢の際、村人から「生まれた場所はどこか」とたびたび聞かれ、その都度「三吉」と応じたことが「三好」の地名になったのだという。自達坊の庵こそ、医王寺の起こりである。

中広

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祐福寺より上人を招き真言宗から浄土宗へ転宗

鳳来寺近辺の三吉から、行観自達坊がこの地に来往したのは、平安時代中期の寛和2(986)年だった。

正歴4(993)年、真言宗の沢雲仁清阿闍梨が庵を訪れ、薬師堂を建立する。薬師如来を本尊に、東林院瑠璃光山 医王寺と称して開山した。沢雲仁清は京都の東寺の僧で、阿闍梨とは密教の修行を完了し、秘法を伝授する儀式の「伝法灌頂」を受けた高僧を指す。

その後、医王寺の名が文献に現れるのは、300年以上時代が下った、文和4(1355)年になる。往持の善久法印が西の原に塚を築いて入定したという。真言密教において究極の修行とされる入定は、即身仏になるため土中に埋められることだ。伝承とされていたが、大正年間に塚の中から供物と思われる鉦鼓、唐銭などが出土して実証された。

応仁2(1468)年には、小野田久安が客殿を建立し、久安の近親である祐福寺の融雅上人を招いて住持とする。祐福寺(現在の東郷町春木に所在)は建久2(1191)年創建の古刹で、浄土宗西山禅林寺派の寺院。これにより医王寺は改宗して浄土宗となり、薬師如来は別堂に納められ、本尊として阿弥陀如来が安置された。

医王寺の本尊、阿弥陀如来坐像

薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来といい、大医王、医王善逝とも呼ばれ、瑠璃光山 医王寺の山号寺号命名の由縁である。「浄土宗への転宗後も改称しなかったことで、寺の名と宗派に違和感を覚える人もいます」と住職の野口智明さんは話す。

【住職 野口智明さん】 医王寺住職の傍ら、地域の保護司を務めていた。また、子ども会などにも携わっており「社会貢献や奉仕は僧侶の本分と考えます」と語る

秘仏の薬師三尊をはじめ数多くの什宝が伝わる

医王寺は、地震や台風による被害はあったものの、これまで火災は免れてきた。そのために、長い歴史とともに伝世した数々の什宝類が損なわれず、今に伝わっている。

薬師信仰の寺であった当時の本尊、薬師如来坐像は弘法大師の作で、脇侍の日光・月光菩薩立像は定朝法橋の手になるものという。定朝は平安期最高の仏師。優美な和様彫刻の儀式を確立し、仏師として初めて僧侶の位「法橋」を授けられた。薬師三尊(薬師如来と日光・月光菩薩)は秘仏とされ、野口住職も写真でしか見たことがないそうだ。

薬師如来を守護する十二神将像は鎌倉末期の作で、本堂の内陣横に四天王像とともに安置されており、拝観できる。

特筆すべきは、大般若経600巻である。ひとりの女性による写経で、審議は定かではないが、異国伝来とされる。『みよしのむかしばなし』に載る由来を要約してみる。

ある日、村人が荷を付けた
黒牛を見つける。
数日経ってもその場を動かず、
飼い主も現れない。
近くの医王寺へ向けて
牛の網をひいてみると、
歩きだした。
寺に着いて荷物を
あらためたところ、
般若経が入っていたので
寺に納めた。

大般若経の由来は、享和3(1803)年に西大平藩の役所に提出した医王寺の由緒書にも載る。写真は『みよしのむかしばなし』の「牛が運んできた般若経」

牛が運んできたという大般若経は巻物であったが、折経に仕立て替え、毎年正月11日に転読した、と記録に残る。現在は春と秋の彼岸会の際、野口住職が転読している。表裏の表紙を両手で支え、空中で傾けながらパラパラとめくっていく転読の様は、仏事とはいえ思わず目を引く楽しさがある。

大般若経600巻は『西遊記』で知られる玄奘三蔵が訳した仏教経典である

地域の人たちにとって拠りどころとなる寺へ

仏像や仏具、経典などは信仰の対象であり、寺の什宝として大切に所蔵されてきた。しかしながら、文書類などは未整理のものも少なくないという。

「歴史的に貴重であれば、現状の保存では不都合かもしれません。寺の所有ではありますが、地域にとっての文化遺産ともなりうるでしょうから、専門家による正式な調査を含め見直していきたいですね。また秘仏も公開日を設けるなど、広く外に向けた活用も、今後は視野に入れていかなくてはと考えています」

ここ数年、野口住職は次世代型寺院を目標に掲げて、精力的に活動してきた。霊園を整備して、永代供養塔動物供養塔などを建立。さらに書道教室ヨガ教室を開催したり、マルシェを計画したりもしている。

2019年に開講したヨガ教室。「本堂も普段とは違う空間のようで新鮮です」と野口住職
地域の子どもたちを対象に開く書道教室の評判も良い

「説法となると、どうしても一方通行になりがちです。寺という空間の中に、より多くの人たちが触れ合える場や機会を提供することで、かつて地域の拠りどころであった寺への原点回帰を目指しています」

南井山公園にある黒牛の銅像(大般若経の由来となる昔話にちなんだモニュメント)を見て、医王寺を訪ねてきた小学生もいたそうで、「思わぬ出会いもあるものですね」と笑う。

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