1本の木に会いに行く!宮沢賢治が元気をもらった、ぎんどろの木

1本の木に会いに行く!宮沢賢治が元気をもらった、ぎんどろの木

2020/11/22

作家・宮沢賢治が生まれ育った岩手県花巻市は今でも昔話が語られているような、のどかで清々しい土地です。温泉もたくさんあり、賢治ゆかりのものがたくさん残されています。今回訪ねたのは賢治が愛したという“ぎんどろ”の木。初め見る“ぎんどろ”の木は、いのちの喜びを感じさせてくれました。

TABIZINE(タビジン)

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秋の日差しに映えるぎんどろの木

花巻市は岩手県中部に位置する人口10万弱の街。東北新幹線新花巻駅で下車し、車で20分ほど。賢治が愛したという「ぎんどろ」を植えた「ぎんどろ公園」が花巻市の中心、花巻市文化会館の隣にありました。

ぎんどろ公園

穏やかな秋の一日。公園に足を踏み入れると、ここかしこに赤や黄、だいだいに色付いた葉っぱが日差しに輝いています。

風の又三郎群像

賢治の世界を表すモニュメントも置かれています。上の写真は彫刻「風の又三郎群像」。そして、下の写真は2002年に開催された「イーハトーブ日韓芸術祭」の際の韓国のチョイ・クンファさんの作品「休息する人」だそうです。宮沢賢治がひなたぼっこをしているような愛らしい姿ですね。

休息する人

周囲は紅葉していますが、そのなかにまだ生き生きとした緑の葉っぱの、大きな樹木がありました。最初はどれが「ぎんどろ」なのかわかりません。周囲には尋ねる人もいません。しかし、案内板がありました。目の前の緑いっぱいの大木が「ぎんどろ」なんだそうです。風に揺れると緑がキラキラしてまぶしいのです。

宮沢賢治が愛した木だといわれている「ぎんどろ」

この「ぎんどろ」、宮沢賢治が愛した木だといわれています。でもなぜこの木を賢治が愛していたのか、その理由がわかりませんでした。

花巻農学校跡に作られた「ぎんどろ公園」

かつて花巻農学校があった場所

少し調べてみたのです。ここはかつて宮沢賢治が4年あまり教鞭をとった花巻農学校(現在の岩手県立花巻農業高校)があった場所です。大正10年(1921年)12月から大正15年(1926年)3月まで。当時は稗貫(ひえぬき)農学校と呼ばれていました。

賢治は童話「イーハトーボ農学校の春」のなかで、農作業をする生徒や自分自身を生き生きと描いています

「さあ、春だ、うたったり走ったり、とびあがったりするがいい。風野又三郎だって、もうガラスのマントをひらひらさせ大よろこびで髪をぱちゃぱちゃやりながら野はらを飛んであるきながら春が来た、春が来たをうたってゐるよ。ほんたうにもう、走ったりうたったり、飛びあがったりするがいい。」

賢治は童話「イーハトーボ農学校の春」のなかで、農作業をする生徒や自分自身を生き生きと描いています。

農学校での賢治の日々は充実していたようです

ちなみに「イーハトーボ」、あるいは「イーハトーブ(イーハトーヴォ)」とは、賢治の造った世界で、「岩手(イワテ)」をモチーフにした理想郷だといいます。ふるさと岩手が大好きだったのでしょうね。農学校での賢治の日々は充実していたようです。

宮沢賢治が元気をもらった木

“ぎんどろ”は正式には「ウラジロハコヤナギ」といいます

この“ぎんどろ”は正式には「ウラジロハコヤナギ」といい、日本には明治時代に入り庭園樹木として植えられたそうです。ポプラのような葉っぱで、葉の裏が白いのです。似た木で「ドロノキ(泥の木)」と「ハコヤナギ」という木がありますが、それらは親戚のような木で、「ぎんどろ」は葉っぱの裏が銀色をした泥の木ということから名付けられたようです。

太陽光線にキラキラする葉っぱ

賢治が「ぎんどろ」についてどんな風に書いているか調べてみました。「春と修羅 第二集」の「遠足統率」で触れているそうです。大正14年(1925年)5月7日に、賢治が農学校の生徒を引率して小岩井農場を訪れた様子を綴ったものです。

葉っぱとさわさわ揺れる音が五感を刺激します

「そこには四本巨きな白楊(ドロ)が かがやかに日を分劃し わづかに風にゆれながら ぶつぶつ硫黄の粒を噴く」

賢治の言葉の通り、実際に目の前で初めて見る、太陽光線にキラキラする葉っぱとさわさわ揺れる音がいつまでも五感を刺激し、心に残ります。ちなみに「ぶつぶつ硫黄の粒」とは、下の写真の葉っぱの黄色い粒々のことでしょうか。ちいさな秘密を発見したような気分になりました。

ぶつぶつ硫黄の粒とは、黄色い粒々のことでしょうか

盛岡高等農林学校時代の親友・保阪嘉内に宛てた手紙には「来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働らきます いろいろな辛酸の中から青い蔬菜の毬やドロの木の閃きや何かを予期します」と書かれているそうです。賢治はぎんどろから元気をもらったといいます。

その生命力を宮沢賢治は愛したのだと強く感じました

葉の表は緑、裏は白で、風にそよぐとキラキラして美しく、生命力を感じさせてくれるのです。今回始めて「ぎんどろ」の木に会いに来て、実際に揺れる姿を見て、その生命力を宮沢賢治は愛したのだと強く感じました。

「ぎんどろ公園」のそばに賢治のお墓

「身照寺」の裏手の墓地に、賢治は眠っています

ぎんどろ公園の南側、ゆるい坂道を30メートルほど下ってゆくと、「身照寺(しんしょうじ)」という日蓮宗のお寺の入り口があります。この本堂の裏手の墓地に、賢治と家族は眠っていました。

昭和26年にこの身照寺に改葬されています

この身照寺はかつて廃寺となっていたものが昭和5年(1930年)に再建され、昭和21年(1946年)、「遠光山身照寺」と称するようになったそうです。賢治の葬儀はもともと宮沢家の菩提寺だった安浄寺(浄土真宗)で昭和8年(1933年)に行われましたが、昭和26年(1951年)にこの身照寺に改葬されています。

賢治は浄土真宗から日蓮宗へと傾倒していきます

実は宮沢家は花巻でも知られた裕福な名家で、古着屋と質屋を営み、代々浄土真宗の家柄でした。賢治も幼いころから浄土真宗に親しんでいたそうです。しかし、賢治は18歳の時に「法華経」に出会います。そして浄土真宗から日蓮宗へと傾倒していくのです。

穏やかな秋の一日

賢治の思想的な変遷や家族・特に父との葛藤など詳細の説明は、私にはとうてい手に負えません。興味がありましたら、2017年下期の直木賞受賞作「銀河鉄道の父」(門井慶喜・著)に詳しく描かれていますので、ぜひお読みください。涙と笑いの父子の感動物語です。

心が軽くなる秋日和の散歩でした

穏やかな秋の一日。ご住職はとても丁寧に応対をして下さる方で、「遠くから賢治さんのお墓にお参りする方々がたくさん見えます」と話してくださいました。心が軽くなる秋日和の散歩でした。

[All Photos by Masato Abe]

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