田辺城の城下町「西舞鶴」と海軍とともに発展した「東舞鶴」

田辺城の城下町「西舞鶴」と海軍とともに発展した「東舞鶴」

2021/01/11

主君を討った明智光秀と、その盟友ながら味方になることを拒んだ細川藤孝(幽斎)。戦国ドラマでは悪役にされることが多い2人も、まちの基礎をつくった京都府北部の「福知山」「舞鶴」では名君として慕われている。クライマックスを迎える「麒麟がくる」で注目される城下町を訪れた。

日刊ゲンダイDIGITAL

日刊ゲンダイDIGITAL

「田辺籠城戦」の舞台となった田辺城

田辺城城門

田辺城の城下町として栄えた西舞鶴と、海軍とともに発展した東舞鶴――。舞鶴市は歴史的な背景が異なる2つの顔を持っている。それだけに見どころも豊富だ。
田辺城は光秀の盟友・幽斎と、その長男で、光秀の娘・玉子(細川ガラシャ)を正室に迎えた忠興によって、1588(天正16)年ごろに完成した。
この城を有名にしたのが、石田三成方の大軍1万5000人を相手にした田辺籠城戦だ。徳川家康に加勢し留守だった忠興に代わり、隠居の身の幽斎が500人の手勢で52日間、耐えしのいだ。
「田辺城資料館」(℡0773・76・7211)が入る城門は1992(平成4)年に復元されたものだが、天守台跡の石垣などは築城当時のまま。
「湿地帯に建てられたため、石垣の下に木を敷き、沈下を防ぐ工夫が施されています」(館長の吉岡博之さん)
「道の駅 舞鶴港とれとれセンター」(℡0773・75・6125)も西舞鶴の観光スポットだ。舞鶴港で水揚げされたばかりの新鮮な魚介が売られていて、その場で食べることもできる。人気は、今が旬の「舞鶴かに」(ズワイガニのオス)やシコシコとした食感の「舞鶴かまぼこ」。舞鶴では「嶋七」「高作」「藤六」がかまぼこの3大メーカーで、家ごとにひいきの店を持っているそうだ。「舞鶴かまぼこ工房」(℡0773・77・5400=まいづる広域観光公社)では、かまぼこや、ちくわの手づくり体験もできる。

明治期の遺産が残る海軍ゆかりの地

ハイカラな雰囲気

「富国強兵」のスローガンの下、近代国家の建設を進めた明治政府は1901(明治34)年、急峻な山々に囲まれた舞鶴に海軍の本拠地「鎮守府」を置いた。現在の東舞鶴のエリアは、海軍の進出とともに埋め立てられ、一気に開発が進んだ場所だ。
当時の雰囲気を今に伝えるのが赤レンガの建物群「舞鶴赤れんがパーク」(℡0773・66・1096)。1号棟から5号棟までが公開されていて、博物館やイベントホールなどに活用されている。結婚披露宴や映画の撮影に使われることも少なくない。
すぐそばの「北吸赤れんが桟橋」からは30分かけて港をめぐる「遊覧船」が出ている。大型フェリーや自衛隊の艦船を間近で見られるとあってファンは多い。乗船券は2号棟で販売されている。詳しくは「舞鶴赤れんがパーク遊覧船窓口」(℡090・5978・8711)まで。

素朴な味わい

舞鶴鎮守府の初代司令長官・東郷平八郎ら海軍関係者が定宿とした老舗旅館「松栄館」の別館は現在、「洋食レストラン松栄館」(℡0773・65・5007)として営業中。海軍が調理担当者の育成のために編纂した「海軍割烹術参考書」に残るレシピを再現し、「海軍カレイライス」(1000円)、「シチュードビーフ」(1200円)、「海軍肉じゃが」(500円)などを提供している。マネジャーの阿波伸幸さんに会えれば、ユーモアたっぷりに1904(明治37)年に建てられた館内を案内してくれることも。

貴重な資料

舞鶴は引き揚げ港としての歴史もある。第2次大戦当時、660万人を超える日本人が中国や朝鮮、東南アジアなどで暮らしていて、うち66万人が舞鶴に引き揚げた。最後の引き揚げ船が着岸したのは、東京タワーが竣工された1958(昭和33)年だ。
「舞鶴引揚記念館」(℡0773・68・0836)には、シベリアに抑留された日本人が、水に溶かした煤と白樺の皮に日々の思いをつづった「白樺日誌」など、「ユネスコ世界記憶遺産」に登録された資料が数多く展示されている。LINEのアプリを使った謎解きゲームも実施中だ。
(取材・文=二口隆光/日刊ゲンダイ)2021年1月1日掲載 ※情報は取材時点のものです

この記事を書いたライター情報

日刊ゲンダイDIGITAL

日刊ゲンダイDIGITAL

株式会社日刊現代が発行する夕刊紙「日刊ゲンダイ」および、公式サイト「日刊ゲンダイDIGITAL」には、旅やグルメ、レジャーなどの“おでかけ情報”が満載。好奇心旺盛な記者や専門家が実際に現地に出向いて取材し、本当にオススメできる選りすぐりのスポットを紹介します。

日刊ゲンダイDIGITAL が最近書いた記事

おすすめのコンテンツ

連載