埼玉・久喜市 関東神楽の源流である鷲宮催馬楽神楽保存会
2021/01/13
古代からあったといわれる鷲宮神社。この神社に伝わる鷲宮催馬楽(さいばら)神楽は、293年前の書物に記録が残り、国指定重要無形民俗文化財に指定にされている。神楽の歴史や、舞いと演奏の面白さなどを鷲宮催馬楽神楽保存会の皆さんに聞いた。
中広
関東の神楽の起源となった国指定重要無形民俗文化財
久喜市鷲宮の一画、木々が生い茂るなか静かにたたずむ鷲宮神社。同神社は古代からあったと言い伝えられ、鎌倉時代に書かれた歴史書『吾妻鏡』の、1193(健久4)年の記事に登場する歴史ある神社だ。
鎌倉時代にはまた、同神社を総鎮守とする地域の太田荘(おおたのしょう)が、将軍直轄領である関東御領となった。鎌倉幕府滅亡後も、多くの将軍や豪族に庇護され、その地位をゆるぎないものとしてきた。
鷲宮神社は関東の神社において、有力な神社の一つであり、そこで奉納された神楽もまた、歴史あるものとして一目置かれていた。神楽とは、神に音楽や舞を奉納するのを指す。1726(享保11)年、同神社の大宮司が記した『土師(はじ)一流催馬楽神楽歌』には、神楽で歌われる催馬楽などの歌詞や衣装、持ち物が詳しく書かれており、現在同神社で舞われる神楽の成立はこの頃とされている。
この神楽は関東神楽の源流といわれ、現在に残る江戸の里神楽の元になったと伝わる。その歴史的重要性から1976年に、第1回目の国指定重要無形民俗文化財指定を受けたほどだ。
同神楽の正式名称は、土師一流催馬楽神楽といい、一般的には鷲宮催馬楽神楽という。土師とは、素焼きの土器などを作る土師部の意味。社伝には、ハジがワシに転じて鷲宮となったとある。
「神楽の演目の単位は、座といいます。鷲宮催馬楽神楽には、もともと36座あったと伝わっていますが、現在残るのは12座と番外2座です」と、教えてくれたのは、同神楽保存会会長の矢田ケ谷栄治さんだ。現在、同神楽は保存会が受け継ぎ、奉納している。
奉納は、年に6回。神社本殿と対面した神楽殿で舞われる。神楽の最初に、神楽殿正面の端に神座をしつらえ、祝詞をあげて神をおろす。そこから、12座のうちの数座を神に奉納し、また神を送るまでが神楽の流れだ。神楽の題材は神話をもとにしたものや、豊穣を願うものなどがある。
「保存会には現在、巫女指導者を含む10名が所属しています。毎週土曜の夕方3時間くらいを使い、練習に当てます。どの座でも、きちんと神座を置くんですよ」と、話すのは、保存会副会長の槇島昇さん。練習であっても、保存会では神に対する畏敬の念を忘れない。
このほか巫女が10名おり、幼稚園の年長から小学6年生までの少女で構成される。巫女が登場する神楽は2座あり、少女たちも大切な舞方だ。
保存会では後継者育成と文化継承のため、神社主催の催馬楽神楽伝承教室、久喜市主催の鷲宮催馬楽神楽伝承教室、そして鷲宮中学校の部活動にも指導に赴く。「中学校の部活動に芸能部があり、1980年からそこで神楽の舞を生徒に教えています」と、矢田ケ谷会長。中学校には珍しい芸能部が存在するのも、鷲宮神社と神楽が古くから地域に根付いてきた証だろう。
舞い方や笛の吹き方で神楽に個性が加わる
神楽には、舞を舞う舞方と音楽を演奏したり歌ったりする拍子方がいる。兼任する場合もあるが、どちらかを専任で務める場合もある。
増井秋美さんは、会員のなかでは20代の最年少で、舞方と拍子方を務める。小学6年生の学校行事で神楽に触れ、興味を持った。同級生の父親が保存会に所属していたなどの縁もあり、神社主催の教室に通い始め、社会人になったいまは保存会に入り、神楽を続けている。
そこまで夢中になった神楽の面白さを増井さんは、「最初は舞の動きを追うだけだったのが、所作を覚えられるようになって、役に合った動きに見えるよう、舞い方を意識しだしてから楽しくなりました」と、話す。舞には異なる座でも一部、共通する動作が含まれる。面を付けているかいないか、人の役か神かなどによって、舞い方を変えなくてはならない。例えば、女神なら、人間らしく見えないよう神として舞う、それが楽しいそうだ。
専任で拍子方をしているのは小林稔さん。篠笛を担当して6年目、市の教室から神社の教室を経て、保存会へ入会した。小林さんが神楽に興味を持ったのは、篠笛がきっかけだった。「音色にほれ込み、自分でも吹けたらなあと思い、参加しました。習えばすぐ吹けるだろうと思っていたら、きれいな音で一曲を吹き通すのは難しいんです」と、話す。練習のために車で人のいない公園へ出かけて、駐車場で吹いたりもしたそう。「篠笛は、息を吹き込めば音が出る楽器ではありません。くちびるの当て方でも変化するので、どうやったら狙った音を出せるのか工夫するのが面白いですね」。
会員たちがそれぞれ努力し、歴史ある神楽を継承している保存会だが、「厳密に言えば、昔からの神楽をそのまま保存しているのではありません」と、矢田ケ谷会長は言う。「拍子方には楽譜がないので、音は口伝で伝えられてきました。舞も同様です。なにより12座に減ったときに、大昔のものとは内容も変わっているはずです」。
さらに舞い方一つ、笛の吹き方一つで個性が出、神楽に変化が出る。そんなように時代に応じたゆっくりとした変化を含めて、神楽の保存活動なのだそうだ。
人が神を招き、その前でどう神を演じながら舞うか。人と神が作り出す厳かな舞台に一度、触れてみてはどうだろうか。