長野県飯田市「元善光寺」由緒深き南信州の古刹を訪ねて

2017/09/14

長野県飯田市「元善光寺」由緒深き南信州の古刹を訪ねて

全国に「善光寺」を寺名とする寺院は百ヶ寺を超えている。平安時代末期、長野市の善光寺を拠点とした善光寺信仰が日本各地に広まったことによるが、善光寺の本尊「一光三尊阿弥陀如来」が最初に祀られたのは、飯田市座光寺に鎮まる元善光寺であった。

中広

中広

善光寺の発祥の霊場にして名の由来「本多善光」生誕地

「元善光寺」と掲げられた入り口をくぐり、急な石段を上る。途中振り返ると、近所の人だろうか、下の通りを渡る際に立ち止まり、寺に向かって一礼する姿を目にした。ここは信仰の場であることを改めて思い、襟を正す。

本堂内陣(許可を得て撮影)

石段の先に山門。さらに石段が続き、上り終えると、正面に本堂が現れる。現在の本堂は寛政九(一七九七)年の建立である。本尊は大きな一つの舟形光背のなか、中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の三像が並び立つことから、「一光三尊阿弥陀如来像」と呼ばれ、「善光寺如来」の名でも知られる。秘仏とされ、住職でさえその姿を見たことはない。御開帳のときも、厨子前に立つ前立本尊を拝む。

本堂の手前に「回向柱」が立つ。七年に一度の御開帳の折には、前立本尊の右手と回向柱が金糸や五色の綱で結ばれ、柱に触れることで、よりご利益があるといわれている。手水舎で清め、本堂で参拝する。頭上には「右離れ立葵」の寺紋が入る大提灯が二基。目線を前に移すと「本多善光誕生霊地」の額がある。

人気の高いオリジナル御守り。右から木瓜の花と帽子を組み合わせて「ボケ防止」亀の背中の六ひょうたんは無病にかけて「無病息災」ナスは「物事を成す」とし、ナスの中にカエルが入っていて「無事帰る」となる

寺伝によれば、古くは麻績の里と呼ばれたこの地の住人本多善光は、推古天皇十(六〇二)年に国司の供で都に上った。難波の堀で阿弥陀如来像を見つけて故郷に持ち帰り、祀ったのが元善光寺の起源という。皇極天皇元(六四二)年、阿弥陀如来のお告げで、芋井の里(現在の長野市)へ阿弥陀如来を移し、建てた寺を善光の名に基づき善光寺と名付けた。よって元善光寺の「元」は本元を意味する。

遷座の際、「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の古里に帰り来て衆生を化益せん」とのお告げがあり、善光自ら本尊と寸分違わぬ像を彫り、元善光寺の本尊として祀った。この仏勅により古来「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」といわれてきた。

正月の縁起物「福升」

ところで、なぜ阿弥陀如来像が堀などにあったのか。阿弥陀如来像はインドから百済に伝えられ、欽明天皇十三(五五二)年、日本に贈られた。当時は仏教に反対する勢力もあり、疫病が流行ったのは異国の仏像のせいとされ、古くからの神を崇拝する物部氏によって堀に沈められたと伝えられている。

7年ごとに1度、丑年と未年に行われる「御開帳」。真新しい回向柱に触れ、本尊との結縁を祈る

例年多くの参詣者で賑わう初詣と七草だるままつり

参拝を終えると、女性職員から「ご戒壇巡りをされてきてください」と声をかけられ、本堂右脇にある階段を案内される。真っ暗闇のなかへ下りていく。右側の手すりを頼りに進み、極楽往生・開運の錠(仏具の独鈷の形をしている)に触れ、無事地上に戻る。陽の光が眩しい。

毎年、初詣には本堂の前に長い列ができ、福升や破魔矢、熊手などの縁起物を買い求める人も多い

拝観料を払い、本堂を抜けて「宝物殿」に向かう。涅槃像をはじめとする仏像や掛軸など、数多くの寺宝が展示、公開されており、なかでも「座光の臼」元善光寺の霊宝とされている。難波の堀で見つけた阿弥陀如来像を自宅に持ち帰った善光は、家のなかで最も清浄な場所は米をつく臼の上だろうと、臼の上に安置し供養した。その臼から光明が輝いたので、これを座光の臼と呼び、この地を座光寺としたと伝わる。

さらに奥へ歩を進め、急な階段を上ると「平和殿」に出る。戦争で亡くなった英霊を祀るため、昭和二十九(一九五四)年に建てられた。平和殿では、西国三十三観音霊場お砂踏み参拝ができる。お砂踏みとは、各札所の観世音菩薩の前にその土地の砂を敷き、三十三ヶ所を順に巡ることで、現地を巡礼するのと同じご利益に授かれるというもの。

本多善光が阿弥陀如来像を祀る台座とした座光の臼

順路の案内に従って本堂に戻り、再び境内へ。山門から上ってきた石段の右脇に梵鐘がある。よく見れば「平和の鐘」の刻印が入っている。戦時中の供出の後、平和を祈念して昭和二十五(一九五〇)年に再鋳された。現在は、小さな傷が見つかって、除夜の鐘以外で撞くことはないそうだ。十二月三十一日の午後十時から、先着一〇八人に整理券を渡すのだが、毎年一番を目当てに昼前から並ぶ人もいると聞く。

正月三が日、初詣に訪れる人は三万人余りを数える。元善光寺の縁起物といえば、住職自ら「福」の字を書き込む「福升」が知られている。三つの面に三頭ずつ、計九頭の馬が描かれ「うまくいく」の語呂合わせとなっている五合升と、「一生(一升)繁盛」の意味を込め、宝船が描かれた一升升とがある。

平和殿内部のお砂踏み参拝所。西国三十三ヶ所札所の観音と砂が並ぶ

一月七日には恒例の「七草だるままつり」が行われる。地域の人たちが持ち寄った、役目を終えただるまや縁起物、お守り、正月飾りなどが供養される。以前は、人日の節句にあたる七草には、住職が参詣者の額に印を押す「御印文」を行っていたそうだ。

境内を散策している間にも、次から次へと参詣者が絶えない。多くの人の崇敬を集めていることが感じられた。片詣りにならないよう、次は長野市の善光寺に詣らねばと心に留め、元善光寺を後にした。

宝物殿は本堂からつながっており、約120点の寺宝が展示公開されている
Yahoo!ロコ元善光寺
住所
長野県飯田市座光寺2638

地図を見る

アクセス
元善光寺駅[出口]から徒歩約7分
下市田駅[出口]から徒歩約32分
伊那上郷駅[出口]から徒歩約34分
電話
0265-23-2525
営業時間
通年 0:00~24:00
定休日
年中無休
口コミ・写真など

※この施設の情報はYahoo!ロコから提供されています。

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